恋愛したいわけじゃない。でも、一人で生きたいわけでもない。

「彼女/彼氏いないの?」 「そろそろ本気で探した方がいいよ」
そう言われるたびに、あたしはいつも同じ顔で笑って、同じ言葉でごまかしてきた。
「うーん、今はいいかな」「そういうのに興味なくて」。
嘘は言ってない。でも、本当のことも言えてない。
そのくり返しに、正直もう疲れてしまった。だから今日は、ちゃんと言葉にしてみようと思う。ただ、仕事上でいろんなAIを試そうっていう一環で、今回は文章作成が得意なAI「Claude」に文章化を手伝ってもらいました笑 あと画像もいっぱい出力しました笑
「恋愛したくない」と言うと、だいたい二択にされる
あたしは普段は面倒くさいから「オカマ」って言ってるけど、ちょっと正確に言うと
ポリセクシュアルで、Xジェンダー/ノンバイナリーで、そしてAロマンティック、クワロマンティックだ。
こうやって並べると、ずいぶん複雑な人間に見えるかもしれない。実際、自分でもこの組み合わせを一言で説明するのは難しいと思ってる。でも、それぞれの言葉は、あたしがこれまで感じてきたことに、ようやく形を与えてくれたものでもあるのよ。
耳慣れない言葉が並んでいると思うので、先に簡単に説明するね。
ポリセクシュアル
恋愛や性的な関心が、一つの性別だけでなく、複数の性別に向く人のこと。「男女2つの性別」に向くバイセクシュアル、「全部の性別」に向くパンセクシュアルとは少し違って、「いくつかの性別には惹かれるけど、全員というわけではない」という、幅を持たせた言い方。
あたしの場合は9割強が中性的でペニスが付いた人(言うたら「前髪系男子」)が好きかな。残り1割弱が中性的で膣が付いた人(主に中性的なトランス男性)。短髪ガチムチみたいな「男らしすぎる」人やロングヘアーで「女らしすぎる」人は性的にも恋愛的にも対象外って感じ。
Xジェンダー/ノンバイナリー
「男性」か「女性」かのどちらかにきっちり分類されることに、しっくりこない性のあり方のこと。男でも女でもないと感じたり、その日によって揺れたり、そもそも性別という枠組み自体が自分にはあまり関係ないと感じたりと、「男女という二択の外側にいる」という感覚。
あたしの場合は、一時期「その日によって揺れること」もあったけど、今はだいたい「中性」っていう性自認(性別に対する自己認識)かな。
Aロマンティック(アロマンティック)
いわゆる「好き」という恋愛的な感情を、ほとんど、あるいは全く感じない人のこと。よく誤解されるけど、これは「人が嫌い」とか「愛情がない」という意味では全くない。ただ、世の中で「恋」と呼ばれている、あの特有の高揚感やときめきが、自分の中にほぼ湧いてこない、というだけのことだ。
あたしの場合、恋愛感情をほぼ感じないか、「推し」の感覚になることが多いかも知れない。
クワロマンティック
「これは恋愛感情なのか、それとも深い友情や親密さなのか、自分でもよくわからない」という状態を指す言葉。恋愛感情と、そうでない親密さの境界線が、はっきり引けない。「わからない」こと自体が、一つのあり方として認められている。
あたしの場合、「友達」「恋愛(交際関係)」の差が口頭なり文章なりの告白という「契約関係」以上の意味を見いだせないのよね。
ひとまず、あたし自身を説明できるこれらの言葉が存在してありがたいところだと思う。
で、一つひとつは別々の話に見えるかもしれないけど、あたしの中ではこれ全部がセットになっていて、どれか一つだけを取り出して説明することはできない。
この話をすると、大抵は二つのどちらかに着地させられる。
「恋愛はあまりしたくないけど、誰かと一緒にいたい!」と言うと、「それって友達ってことじゃないの?」と言われる。
そこからもう少し踏み込んで
「スキンシップとか、性行為への欲求はある」と言うと、今度は「じゃあセフレが欲しいってこと?」と、また別の箱に入れられる。
友達か、セフレか。恋人か、他人か。
世の中の関係性の地図には、だいたいこの四つくらいしかない。あたしが行きたい場所は、多分その地図には載っていない。
何度説明しても、相手が持っている二択のどちらかに押し込まれて会話が終わる。それがずっと、地味にしんどかった。
LGBTの枠にも、うまく収まらない

こういう話をすると、「じゃあLGBTコミュニティの中では話が通じるんじゃないの?」と聞かれることがある。半分は合っているけど、半分は違う。
同じ当事者コミュニティの中でも、「恋愛」を前提に話が進むことは多い。恋人がいるかどうか、パートナーシップ制度をどう考えているか、恋人とのなれそめ——そういう話題が自然と中心になる。それ自体は悪いことじゃないし、恋愛を大切にしている人たちの気持ちもわかる。ただ、あたしはそこでもまた、少しだけ疎外感を得るときもある。
セクシュアリティの説明も、性別の説明も、恋愛の形の説明も、その都度別々にしなければならない。
「ゲイなら彼氏はいるの?」「ノンバイナリーってことは、結局どっちの気持ちが強いの?」「恋愛感情がないなら、そもそも一緒にいて何が楽しいの?」。
一つひとつの質問はきっと悪気のないものなんだけど、それに答え続けるうちに、自分がまるでいくつものカテゴリーの寄せ集めみたいに扱われている気がしてくることがある。
でも、あたしからすれば、これは全部ひとつながりの、あたし自身の感覚だ。バラバラのパーツを組み合わせているわけじゃなくて、最初から一つの塊としてここにある。
恋愛的指向と性的指向は、同じ線の上にない
Aロマンティックというと、「恋愛にも性にも興味がない人」だと思われがちだけど、それは正確じゃない。(「恋愛にも性にも興味がない人」はAro/Ace(「アロエース」)と呼んだりする)。
恋愛的な惹かれ(いわゆる「好き」という感情)と、性的な惹かれは、必ずしも同じところから来ているわけじゃない。恋愛感情はほとんどないのに、性行為への欲求はある。そういうあり方も、ちゃんと存在する。逆に、恋愛感情はあるのに性的な関心はほとんどない、という人もいる。二つの指向は、別々の軸でそれぞれ勝手に動いている。
だからあたしの場合、
- 誰かと一緒にいる時間は欲しい
- 安心して話せる関係は欲しい
- スキンシップや性行為への欲求もある
- でも「恋人」という役割や、「交際」という枠組みには、あまり魅力を感じない
これは矛盾しているように見えて、実は矛盾じゃない。ただ、世の中の「恋愛か、そうでないか」という二択の物差しでは測れないだけ。
面白いのは、この四つを並べて誰かに話すと、たいてい「え、それって結局どっちなの」と聞かれることだ。どっちでもない、というのがまさに答えなんだけど、その答え自体が選択肢として用意されていないから、質問した側も戸惑ってしまうんだと思う。責めているわけじゃない。あたし自身、この感覚に名前がつくまでは、自分でもうまく説明できなかったから。
「持てる人」と「持たざる人」

性行為への欲求がある、とさっき書いたけど、正直に言うと、あたしはその欲求にかなり振り回されている自覚がある。
お酒に頼ってしまう理由の一つは、実はここにある。酒場でコミュニケーションとして必要なのもあるけど、「性行為がなかなかできない」ストレスも大いにある
。
数年前、Twitterで話題になっていた、「もちぎさん」に、こんな趣旨のことをDMのやり取りの中で言われたことがある。
「持てる人と持たざる人の差が大きくて大変だよね。あたい(もちぎさん)はかつてより性欲がすっかりなくなったけど、もじゃちゃんはまだ性欲あるもんね。あたいらもう年齢が年齢だから、お酒とセックスするしかないよ!笑」
と。返す言葉もないくらい、その通りだと思った。
あたしももう37歳。それでも、あたしがここまで性行為にこだわってしまうのは、単純にその行為自体を楽しみたいという気持ちもあるけど、それ以上に、若い頃に手に入らなかった「青春」を、今になって追いかけているところがある。
20代のあの頃、恋も、性も、誰かとの触れ合いも、あたしにはずっと縁遠いものだった。セクシュアリティというか性自認・性別移行に関する悩みだったり、周囲のゲイカップルの「若気の至り」によって直接的に迷惑を被ったりで、むしろ避けていた部分はあるのよ。(それもきっかけで「交際などしたくない」と思っちゃったわけ。)
だから今、その埋め合わせをするみたいに、過去の自分に対して何かを清算しようとしているんだと思う。そこにきっと、Aロマンティックという指向自体も絡み合っている——恋愛という入り口がないぶん、性的なつながりの方に、気持ちが偏りやすいのかもしれない。
ただ、ここは自分でもわかっている部分だけど、あたしは多分、性行為そのものを求めすぎているところがある。「安心して自分でいられる親密さ」が欲しいと書いておきながら、実際には、その手前にある性的なつながりの方に、気持ちが引っ張られすぎることがある。それが手に入らないと、お酒に流れて埋め合わせをしようとする。そのくり返しに、自分でも「これは違う気がする」と思う瞬間は、正直何度もある。
多分、これは今のあたしがまだ整理しきれていない部分なんだと思う。青春の清算をしたい気持ちも、安心できる親密さが欲しい気持ちも、どちらも本当なんだけど、その二つのバランスを、あたし自身がまだうまく取れていない。なんならバランスの取り方がわからないから酒を飲みすぎてしまうのはあるわ。
求めているのは、「安心して自分でいられる親密さ」

じゃあ、あたしは何が欲しいのか。
一緒にご飯を食べる。何時間も話す。手をつなぐこともある。性行為をすることもあるかもしれない。それでも、「恋人になろう」「付き合おう」という枠組みは、どうしてもしっくりこない。
多分あたしが求めているのは、「恋愛」でも「性行為」でもなくて、その両方を含みうる、もっと大きな何か——「安心して自分でいられる親密さ」なんだと思う。
心理的なつながり。自分を受け入れてもらえている感覚。取り繕わなくていい関係。それさえあれば、そこに「恋人」というラベルが付いているかどうかは、あたしにとってはあまり重要じゃない。
逆に言えば、「恋人」というラベルがついていても、そこに安心感がなければ、あたしにとっては何の意味もない関係になってしまう。
推しの話を書いたとき、あたしは「付き合いたい」ではなく「安心しておしゃべりできる人」と書いた。それは無意識の選択じゃなくて、多分あたしの中では最初からそこが中心だったからだと思う。恋愛の文脈で語られがちな「推し」というものですら、あたしにとっては恋愛の代替物じゃなく、ただ純粋に「安心できる存在」として動いているわ。
名前のない関係を、名前のないまま置いておく
世の中には、恋愛だけが親密さの唯一の形じゃないと考える人たちのための言葉もある。「クィアプラトニック・リレーションシップ」とか、「関係性アナーキー」とか。
そういう言葉に出会うと、少し救われる。「あたしの感覚は、ちゃんと説明可能なものだったんだ」「同じように感じている人が、他にもいるんだ」と思えるから。
孤独な感覚に、輪郭が与えられる瞬間だ。
ただ、正直に言うと、今のあたしはそのどれかにきっちりラベルを貼りたいわけでもない。ポリセクシュアルであること、ノンバイナリーであること、クワロマンティックであること——それぞれ既に説明が要るものを、いくつも抱えている。その上でさらに関係の形にまで名前をつけなきゃいけないのは、正直、少し疲れる。
だから今は、「一緒にご飯を食べる人」「安心して話せる人」「必要なときにそばにいる人」——そういう具体的な実感だけを積み重ねて、その関係自体にはまだ名前をつけないでおこうと思っている。名前をつけないことは、宙ぶらりんでいることとイコールじゃない。ただ、既存の言葉に無理やり当てはめないというだけの選択。
一人にはなりたくない、それだけは確かだ

「恋愛したくない」と言うと、「じゃあ一人が好きなんだね」とよく言われる。でも、それも違う。
一人でいたいわけじゃない。恋愛という形ではない親密さを、求めているだけなの。
その違いを説明するのに、あたしはこれまでずっと言葉を探してきた気がする。今でも完璧な言葉は見つかっていない。多分、これからも見つからないまま、少しずつ言葉を継ぎ足していくんだと思う。
それでも、今のところ一番近い言い方はこれだ。
恋愛したいわけじゃない。でも、一人で生きたいわけでもない。
その間にある広いグラデーションの中に、あたしは今、自分の居場所を探しながら立っている。
多分、この文章を読んでも、あたしのことを完全に理解した気にはならないと思う。でもそれでいいわよ。あたし自身、まだ全部を言葉にできているわけじゃないから。それでも、少しでも「わかろうとしてくれた」という手触りが残るなら、それだけで十分だと思っている。
そして、もし同じように、友達でもセフレでも恋人でもない何かを探している人がいるなら、その人にも、ちゃんと居場所があるということを、この文章が少しでも伝えられたらいいなと思う。あなたの感覚に、まだ名前がついていなくても、それはあなたが間違っているということじゃない。
ただ、まだ言葉が追いついていないだけなんだ。























