恋がしたいわけじゃない。それでも、独りぼっちにはなりたくない。

恋愛したいわけじゃない。でも、一人で生きたいわけでもない。

「彼女/彼氏いないの?」 「そろそろ本気で探した方がいいよ」

そう言われるたびに、あたしはいつも同じ顔で笑って、同じ言葉でごまかしてきた。

「うーん、今はいいかな」「そういうのに興味なくて」

嘘は言ってない。でも、本当のことも言えてない

そのくり返しに、正直もう疲れてしまった。だから今日は、ちゃんと言葉にしてみようと思う。ただ、仕事上でいろんなAIを試そうっていう一環で、今回は文章作成が得意なAI「Claude」に文章化を手伝ってもらいました笑 あと画像もいっぱい出力しました笑

「恋愛したくない」と言うと、だいたい二択にされる

あたしは普段は面倒くさいから「オカマ」って言ってるけど、ちょっと正確に言うと

ポリセクシュアルで、Xジェンダー/ノンバイナリーで、そしてAロマンティック、クワロマンティックだ。

こうやって並べると、ずいぶん複雑な人間に見えるかもしれない。実際、自分でもこの組み合わせを一言で説明するのは難しいと思ってる。でも、それぞれの言葉は、あたしがこれまで感じてきたことに、ようやく形を与えてくれたものでもあるのよ。

耳慣れない言葉が並んでいると思うので、先に簡単に説明するね。

 

ポリセクシュアル

恋愛や性的な関心が、一つの性別だけでなく、複数の性別に向く人のこと。「男女2つの性別」に向くバイセクシュアル、「全部の性別」に向くパンセクシュアルとは少し違って、「いくつかの性別には惹かれるけど、全員というわけではない」という、幅を持たせた言い方。

あたしの場合は9割強が中性的でペニスが付いた人(言うたら「前髪系男子」)が好きかな。残り1割弱が中性的で膣が付いた人(主に中性的なトランス男性)。短髪ガチムチみたいな「男らしすぎる」人やロングヘアーで「女らしすぎる」人は性的にも恋愛的にも対象外って感じ。

Xジェンダー/ノンバイナリー

「男性」か「女性」かのどちらかにきっちり分類されることに、しっくりこない性のあり方のこと。男でも女でもないと感じたり、その日によって揺れたり、そもそも性別という枠組み自体が自分にはあまり関係ないと感じたりと、「男女という二択の外側にいる」という感覚。

あたしの場合は、一時期「その日によって揺れること」もあったけど、今はだいたい「中性」っていう性自認(性別に対する自己認識)かな。

Aロマンティック(アロマンティック)

いわゆる「好き」という恋愛的な感情を、ほとんど、あるいは全く感じない人のこと。よく誤解されるけど、これは「人が嫌い」とか「愛情がない」という意味では全くない。ただ、世の中で「恋」と呼ばれている、あの特有の高揚感やときめきが、自分の中にほぼ湧いてこない、というだけのことだ。

あたしの場合、恋愛感情をほぼ感じないか、「推し」の感覚になることが多いかも知れない。

クワロマンティック

「これは恋愛感情なのか、それとも深い友情や親密さなのか、自分でもよくわからない」という状態を指す言葉。恋愛感情と、そうでない親密さの境界線が、はっきり引けない。「わからない」こと自体が、一つのあり方として認められている。

あたしの場合、「友達」「恋愛(交際関係)」の差が口頭なり文章なりの告白という「契約関係」以上の意味を見いだせないのよね。

 

ひとまず、あたし自身を説明できるこれらの言葉が存在してありがたいところだと思う。

 

で、一つひとつは別々の話に見えるかもしれないけど、あたしの中ではこれ全部がセットになっていて、どれか一つだけを取り出して説明することはできない。

 

この話をすると、大抵は二つのどちらかに着地させられる。

「恋愛はあまりしたくないけど、誰かと一緒にいたい!」と言うと、「それって友達ってことじゃないの?」と言われる。

そこからもう少し踏み込んで

「スキンシップとか、性行為への欲求はある」と言うと、今度は「じゃあセフレが欲しいってこと?」と、また別の箱に入れられる。

 

友達か、セフレか。恋人か、他人か。

 

世の中の関係性の地図には、だいたいこの四つくらいしかない。あたしが行きたい場所は、多分その地図には載っていない。

何度説明しても、相手が持っている二択のどちらかに押し込まれて会話が終わる。それがずっと、地味にしんどかった。

 

LGBTの枠にも、うまく収まらない

こういう話をすると、「じゃあLGBTコミュニティの中では話が通じるんじゃないの?」と聞かれることがある。半分は合っているけど、半分は違う。

同じ当事者コミュニティの中でも、「恋愛」を前提に話が進むことは多い。恋人がいるかどうか、パートナーシップ制度をどう考えているか、恋人とのなれそめ——そういう話題が自然と中心になる。それ自体は悪いことじゃないし、恋愛を大切にしている人たちの気持ちもわかる。ただ、あたしはそこでもまた、少しだけ疎外感を得るときもある。

 

セクシュアリティの説明も、性別の説明も、恋愛の形の説明も、その都度別々にしなければならない。

「ゲイなら彼氏はいるの?」「ノンバイナリーってことは、結局どっちの気持ちが強いの?」「恋愛感情がないなら、そもそも一緒にいて何が楽しいの?」。

一つひとつの質問はきっと悪気のないものなんだけど、それに答え続けるうちに、自分がまるでいくつものカテゴリーの寄せ集めみたいに扱われている気がしてくることがある。

 

でも、あたしからすれば、これは全部ひとつながりの、あたし自身の感覚だ。バラバラのパーツを組み合わせているわけじゃなくて、最初から一つの塊としてここにある。

 

恋愛的指向と性的指向は、同じ線の上にない

Aロマンティックというと、「恋愛にも性にも興味がない人」だと思われがちだけど、それは正確じゃない。(「恋愛にも性にも興味がない人」はAro/Ace(「アロエース」)と呼んだりする)。

恋愛的な惹かれ(いわゆる「好き」という感情)と、性的な惹かれは、必ずしも同じところから来ているわけじゃない。恋愛感情はほとんどないのに、性行為への欲求はある。そういうあり方も、ちゃんと存在する。逆に、恋愛感情はあるのに性的な関心はほとんどない、という人もいる。二つの指向は、別々の軸でそれぞれ勝手に動いている

 

だからあたしの場合、

  • 誰かと一緒にいる時間は欲しい
  • 安心して話せる関係は欲しい
  • スキンシップや性行為への欲求もある
  • でも「恋人」という役割や、「交際」という枠組みには、あまり魅力を感じない

 

これは矛盾しているように見えて、実は矛盾じゃない。ただ、世の中の「恋愛か、そうでないか」という二択の物差しでは測れないだけ。

 

面白いのは、この四つを並べて誰かに話すと、たいてい「え、それって結局どっちなの」と聞かれることだ。どっちでもない、というのがまさに答えなんだけど、その答え自体が選択肢として用意されていないから、質問した側も戸惑ってしまうんだと思う。責めているわけじゃない。あたし自身、この感覚に名前がつくまでは、自分でもうまく説明できなかったから。

 

「持てる人」と「持たざる人」

性行為への欲求がある、とさっき書いたけど、正直に言うと、あたしはその欲求にかなり振り回されている自覚がある。

お酒に頼ってしまう理由の一つは、実はここにある。酒場でコミュニケーションとして必要なのもあるけど、「性行為がなかなかできない」ストレスも大いにある

数年前、Twitterで話題になっていた、「もちぎさん」に、こんな趣旨のことをDMのやり取りの中で言われたことがある。

 

「持てる人と持たざる人の差が大きくて大変だよね。あたい(もちぎさん)はかつてより性欲がすっかりなくなったけど、もじゃちゃんはまだ性欲あるもんね。あたいらもう年齢が年齢だから、お酒とセックスするしかないよ!笑」

 

と。返す言葉もないくらい、その通りだと思った。

 

あたしももう37歳。それでも、あたしがここまで性行為にこだわってしまうのは、単純にその行為自体を楽しみたいという気持ちもあるけど、それ以上に、若い頃に手に入らなかった「青春」を、今になって追いかけているところがある。

20代のあの頃、恋も、性も、誰かとの触れ合いも、あたしにはずっと縁遠いものだった。セクシュアリティというか性自認・性別移行に関する悩みだったり、周囲のゲイカップルの「若気の至り」によって直接的に迷惑を被ったりで、むしろ避けていた部分はあるのよ。(それもきっかけで「交際などしたくない」と思っちゃったわけ。)

だから今、その埋め合わせをするみたいに、過去の自分に対して何かを清算しようとしているんだと思う。そこにきっと、Aロマンティックという指向自体も絡み合っている——恋愛という入り口がないぶん、性的なつながりの方に、気持ちが偏りやすいのかもしれない。

ただ、ここは自分でもわかっている部分だけど、あたしは多分、性行為そのものを求めすぎているところがある。「安心して自分でいられる親密さ」が欲しいと書いておきながら、実際には、その手前にある性的なつながりの方に、気持ちが引っ張られすぎることがある。それが手に入らないと、お酒に流れて埋め合わせをしようとする。そのくり返しに、自分でも「これは違う気がする」と思う瞬間は、正直何度もある。

 

多分、これは今のあたしがまだ整理しきれていない部分なんだと思う。青春の清算をしたい気持ちも、安心できる親密さが欲しい気持ちも、どちらも本当なんだけど、その二つのバランスを、あたし自身がまだうまく取れていない。なんならバランスの取り方がわからないから酒を飲みすぎてしまうのはあるわ。

 

求めているのは、「安心して自分でいられる親密さ」

じゃあ、あたしは何が欲しいのか。

一緒にご飯を食べる。何時間も話す。手をつなぐこともある。性行為をすることもあるかもしれない。それでも、「恋人になろう」「付き合おう」という枠組みは、どうしてもしっくりこない。

 

多分あたしが求めているのは、「恋愛」でも「性行為」でもなくて、その両方を含みうる、もっと大きな何か——「安心して自分でいられる親密さ」なんだと思う。

 

心理的なつながり。自分を受け入れてもらえている感覚。取り繕わなくていい関係。それさえあれば、そこに「恋人」というラベルが付いているかどうかは、あたしにとってはあまり重要じゃない。

 

逆に言えば、「恋人」というラベルがついていても、そこに安心感がなければ、あたしにとっては何の意味もない関係になってしまう。

 

推しの話を書いたとき、あたしは「付き合いたい」ではなく「安心しておしゃべりできる人」と書いた。それは無意識の選択じゃなくて、多分あたしの中では最初からそこが中心だったからだと思う。恋愛の文脈で語られがちな「推し」というものですら、あたしにとっては恋愛の代替物じゃなく、ただ純粋に「安心できる存在」として動いているわ。

 

名前のない関係を、名前のないまま置いておく

世の中には、恋愛だけが親密さの唯一の形じゃないと考える人たちのための言葉もある。「クィアプラトニック・リレーションシップ」とか、「関係性アナーキー」とか。

そういう言葉に出会うと、少し救われる。「あたしの感覚は、ちゃんと説明可能なものだったんだ」「同じように感じている人が、他にもいるんだ」と思えるから。

孤独な感覚に、輪郭が与えられる瞬間だ。

 

ただ、正直に言うと、今のあたしはそのどれかにきっちりラベルを貼りたいわけでもない。ポリセクシュアルであること、ノンバイナリーであること、クワロマンティックであること——それぞれ既に説明が要るものを、いくつも抱えている。その上でさらに関係の形にまで名前をつけなきゃいけないのは、正直、少し疲れる。

だから今は、「一緒にご飯を食べる人」「安心して話せる人」「必要なときにそばにいる人」——そういう具体的な実感だけを積み重ねて、その関係自体にはまだ名前をつけないでおこうと思っている。名前をつけないことは、宙ぶらりんでいることとイコールじゃない。ただ、既存の言葉に無理やり当てはめないというだけの選択。

 

一人にはなりたくない、それだけは確かだ

「恋愛したくない」と言うと、「じゃあ一人が好きなんだね」とよく言われる。でも、それも違う。

一人でいたいわけじゃない。恋愛という形ではない親密さを、求めているだけなの。

その違いを説明するのに、あたしはこれまでずっと言葉を探してきた気がする。今でも完璧な言葉は見つかっていない。多分、これからも見つからないまま、少しずつ言葉を継ぎ足していくんだと思う。

 

それでも、今のところ一番近い言い方はこれだ。

 

恋愛したいわけじゃない。でも、一人で生きたいわけでもない。

 

その間にある広いグラデーションの中に、あたしは今、自分の居場所を探しながら立っている。

 

多分、この文章を読んでも、あたしのことを完全に理解した気にはならないと思う。でもそれでいいわよ。あたし自身、まだ全部を言葉にできているわけじゃないから。それでも、少しでも「わかろうとしてくれた」という手触りが残るなら、それだけで十分だと思っている。

 

そして、もし同じように、友達でもセフレでも恋人でもない何かを探している人がいるなら、その人にも、ちゃんと居場所があるということを、この文章が少しでも伝えられたらいいなと思う。あなたの感覚に、まだ名前がついていなくても、それはあなたが間違っているということじゃない。

 

ただ、まだ言葉が追いついていないだけなんだ。

 

推しに会う夜は、だいたい飲みすぎる

推しに会う夜は、だいたい飲みすぎる。

別に、最初からそのつもりじゃない。
「今日は軽く2時間位にしよう」って、毎回ちゃんと思ってる。

でも気づいたら、杯数飲んでるし空ボトルがどんどん増えるし終電行っちゃうし。
なんなら記憶も飛ぶこと多々。もしくは大幅に寝過ごしたり。

そして月末のクレジットカードの支払金額を見て「ひゃああああ!!」となるここ数年。

 

こんにちは、もじゃです。2026年のゴールデンウィークになりましたね。


有給でGW明けで期限切れになっちゃうのがあったので、11連休で暇しています。
でも、シフト制で普段2連休じゃないあたしにとっては、2連休取れただけで心に余裕が出る気がします。

だからこそ久しぶりに執筆欲求がでてきて、こうして夜に(4/30 AM1時頃)書いてるところです。最近のもじゃの動向と思ってることを書こうと思います。

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「推し」っていってもいろいろあると思うの。
あたしの中では「安心しておしゃべりできる人」「見た目がタイプな人」もしくはその両方を兼ね備える人が「推し」かな。

 

新宿二丁目には大学時代からかれこれ16年通ってて、今だに続いてる店、新しくできた店、閉店した店、いろいろあって、キープボトルは2016年くらいに最大13軒くらい置いてたけど、今にゃよく行く店は3軒くらいになったわね。二丁目の人間関係もそれと同じく、ぐわっと一気に広がった時期はあったけど、今はその中で対面で安心しておしゃべりできる店「=推しの店」でまったりしてる。

 

なんでそんなに新宿二丁目のゲイバーに通うかって??

ゲイバー以外で気軽に会えるLGBTQ+の友達が少ないからだよん笑

 

シフト制でなかなか曜日が合わなかったり、あたしも出かけるエネルギーが不足したりして事前に予定を立てるのが苦手だったり、今いる友達も新宿以遠住みや転勤などで関東外に引っ越したりして距離的に気軽に会えなかったり。それから昨年と一昨年でよく喋ってた人が死んでしまったり。。。

 

距離的に会えないことに関して言えば、早くどこでもドアが実用化されてほしいしかない笑笑

 

あとは勝手な推測だけど、ゲイの多くはあたしのオカマ口調「ホゲ」をゲイバー以外の「普通の街なか」ですることを苦手としてあまり会いたくないって人もいるかもしれない。。。(「ホゲ」と「カミングアウト・アウティング」、ゲイの「ホゲ」とトランスジェンダーの「非男性的口調」については今までも語ってきたけど後述するかも知れない)←結局後述しなかった

 

こんなあたしでも受け入れてもらって対等にお酒を飲んでくれる推しがいるのがそう、新宿二丁目のゲイバーなのよ。本当にありがたい。

 

『推し』とゲイ界隈の友人関係」についてとあるゲイバーのママさん(同年代。アラサーとアラフォーの間。)と2つ重要なことを話したのを思い出した。ちょうど店にはママとあたし2人だけだったから、二丁目コミュニティとそれ以外のゲイコミュニティについて少し俯瞰したような内容の会話をした。(そこそこ飲んでたからうろ覚えだけど)

 

「お互いもう二丁目も長いからねぇ笑 年取ったもんだわ笑」なんて言いながら。

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1つは「人間関係の優先順位」

ママ「店子に聞いたんだけど、最近の若いゲイは人に会うのに優先順位を設けてるっぽいよ。会ったことがあってたくさん話した事があったとしても、結局は自分と似た見た目どうしで、「互いに推してる」とか「SNSで目立ってる」みたいな関係を優先するんだって。見た目ばっかりで結局アクセサリーよね。」

 

もじゃ「そうなのよ、心のなかでは安心感とか真面目な話ができる人とか内面を見てほしい人が欲しいはずなのに、結局「ライトな関係」に収まっちゃうみたいだね。そこからいろいろ人間的に深まればいいけど。。。」

 

っていう感じ。

あたしの見た目は中肉中背標準体型の髪の毛もじゃもじゃだしモテる顔も体もしてないから、ゲイ界隈の特定カテゴリーにはどこにも入らないからちょっと寂しいけどさ、

あたしもね、いわゆる「前髪系」の人ともっとたくさんつながりたいんだけど、それには縮毛矯正と脱毛をしなきゃいけなくて、維持費がとても今の収入じゃ払えないので叶わずにはいるんだけどね笑

 

ちなみにあたしが「前髪系(かつての「ジャニ・ジュノン系」)」にこだわるのは、外見も内面も「漢らしさ」が苦手で中性的なのが好きなのと、それになりたいけどなれない「投影」「憧れ」は大いにある。あとはあたしが単なるゲイ(=「男性同性愛者」)ではなく、性自認がXジェンダー・ノンバイナリーであることも関わってくるわね。

 

今でも二丁目の店関係でなかよくつながってるのは、そんなあたしを受け入れてくれる前髪系のゲイだし、ゲイバーの店子で「実はXジェンダーです」「本当は中性なんです」「自分の性別は「自分」なの!」っていう人もいて、そんな人とは特に仲良いしもっとそんなあたしと似たような立場の人と出会いたいとはいつまでも思ってる。

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もう1つは「推し活と店子」

ママ「この前他のゲイバーに行ったらびっくりしたわよ。席ついたら空いてる店子が挨拶してくれたけど、とある店子はそのお客さんにずっとべったりついてて、挨拶もしてくれない。他の店子も結構そっけなかった。ちょっと悲しくなったよね。」

 

もじゃ「そうだったかー悲しいわね。水商売なんだから回りながら挨拶しないと「この店子仕事できないんじゃないの?」って思っちゃうわよね。」

 

そう、「ゲイバー推し活」。
SNSで見た目的に目立ってる店子に会いに来て他のお客さんと喋らないし、店子側もそのお客さんがSNSで目立ってて推してるから他の人と話したくない、みたいなことが若いゲイバーでよく見られるらしい。

 

これはあたしかつてから「新宿二丁目の歌舞伎町化現象」と勝手に呼んでいるんだけどさ。


説明すると、新宿二丁目を始めとするゲイバーは「当事者同士のコミュニティ」ベースのスナックで、「昼間だと当事者同士で会えないから、夜集まって、「昼の世界」で言えないことをみんなで言い合って共有しよう」「そのうえで、店子と客、お客さん同士の出会いを結びつけよう」みたいな風潮で何十年もコミュニティが形成されて来たわけなんだけど、

特にコロナ以降はそれこそ「推し活」、ゲイバーにはいわゆる「指名制」「指名料金」は無いけど、「この人に会いに行く(=それ以外の人とは絡まない)目的で飲みに行く」ことが多くなったそうだ。

ホストやキャバクラ、ガールズバー、要は「指名制度があって、「その人目的」で飲みに行く店」が歌舞伎町には多くあるけど、その要素が新宿二丁目のゲイバーコミュニティにも入ってきた形なのよ。

店子が「ホスト」「(キャバ・ガルバの)キャスト」になってるって言えばいいかしら??

こういう実質的な指名・被指名関係をあたしは勝手に「新宿二丁目の歌舞伎町化現象」と呼んでいる(指名制のある歌舞伎町の店できちんとプライド持って仕事して稼いでいるキャストさんには大変失礼になっちゃうけど)。

 

長年ゲイバーで働いている人からすると、そういう店子は「ホストにも満たない仕事できない店子」になっちゃうみたいだから、まだまだやり方の工夫の余地がたくさんあるわね。そういう意味ではゲイバーの店子の仕事は「色恋営業」と「当事者同士のつながりのコミュニティ維持」の2つの仕事があるから大変っちゃ大変。

 

これからのゲイバー界隈は果たしてどうなることやら。


あたしとしては、もっとオープンに関係性を繋げられる場所であって欲しいとはずっと思ってる。

 

酒飲みはみんな友達!!」ってね!!

酒飲みじゃなくてもその場にいたらみんな友達!!

 

(ちなみに職場のとある男子中学生の生徒からは「新宿二丁目仕込みのコミュ力おばけ」と呼ばれている。あんたよ、お母さんに二丁目のゲイバーに連れて行かれそうになったって言ってたけど、そのまま行けばよかったのに笑 あたしみたいなのがいっぱいいるからすぐ慣れるって笑)


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そんなことを思いながら喋りながら飲んでると非常に楽しくてね、ついついいつもお酒を飲みすぎてしまうんだけど、やめられないんだなぁ。

 

そうそう、
先日推しがいる店で久しぶりに朝まで飲んだ。
今まで経験がまずなかったんだけど、あたしのことを推してもらってる。いつも会うと楽しい!

 

もちろんあたしはあたしの飲み方(人推しよりも箱推しを優先する飲み方)があるんだけど、長い時間飲んでると出勤してる店子とかママさんとかとくだらない話も真面目な話もして、良い気分転換になるし思考を膨らませることができてとても有意義なのよ。

 

あたしの楽しい癒しはここにあるんだなぁ」って。メンタル弱ることが多々ある人生だけど、生きるエネルギーが湧いてくるのよ。

 

ただ、やっぱり飲酒量はすごく多くて、その日は朝家帰ってからも自宅で飲んで、寝て夜起きたら翌日仕事なのに自宅でまた焼酎と缶チューハイをやってた。半年前くらいからそんな感じかなあたしの酒の飲み方は。

 

全然給料少ない中で飲酒に使うお金がすごくてさ、

新しい服も買えない。

日常の食事は基本、朝は作り置きご飯で昼はおやつ程度。夕飯は豆腐1丁と納豆とさば缶1つとかにして切り詰めながら生活してる。

業務遂行には問題ないけど翌日アルコール入って出勤することも以前より多くなってきたし、

せっかく楽しく飲んだお酒でも、自分で飲酒量を調整できないと記憶が飛んで楽しかったことすらも忘れちゃうし、覚えてたとしてもその時はだいたい電車を寝過ごしてるからすごく悲しくて、、、

 

さすがにやばいと思って、

半年前くらいかな?かかりつけの精神科クリニックの主治医に相談して、アルコール依存用の治療薬、減酒剤「ノックビン」をもらうようになったのよ。

 

毎日「飲んでないとやってらんない」わけでは無いのでよくイメージされる「アルコール依存症」ではないものの、一口でもアルコールを摂取すると「ほどよく飲む」事ができず、飲酒ペースを制御できないので、「アルコール使用障害」にあたるかな。具体的にそれで診断がおりたかはわかんないけど、診断書に書いてくれって言ったら書いてくれると思う。

 

ただね、「酒を飲むな」とは主治医には言われなかった。これは理由があって、

 

主治医

「性的マイノリティであるからこそ、そういう場所にいかないとなかなか当事者に会えないし話せないでしょ?

もじゃさんにとっては当事者同士でおしゃべりできることが何よりの治療だから、お金と飲み過ぎに気をつけながらもゲイバーに行ってきなさい!わたし(主治医)はかつてゴールデン街に行っててそこが居場所だったから。」

って言ってくれたのが本当にありがたい。

そう、あたしは当事者同士でおしゃべりすることが何よりも心の癒しだし生きている実感が湧くことなのよ。

 

ただでさえ「LGBT」の枠に収まりきらない複雑なセクシュアリティのあたし、説明が面倒くさいときは「オカマ」と自称することが多いけど、それすらも取っ払ってあたしをあたし個人としてきちんと見てくれて会話して関係性を続けられるから本当にあたしは幸せものだと思う。

 

本当は金銭的には居酒屋飲みフレンズとかご飯会フレンズが欲しいんだけどね。
なかなか出会いがゲイバー以外では無いもんだ。それこそ新宿でも近所(町田周辺)でもナイモンでもインスタでもTwitter(X)でも何もないけどね。

 

あとは、お酒に依存する理由はもう1つあって、それは「性行為がなかなかできないこと」。

これに関してはまた別の記事で書こうかな。
あたしの「LGBT」の枠に収まりきらないセクシュアリティについては。

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そう、

推しに会う夜は、だいたい飲みすぎる。

飲むことをやめたいとはいつも思ってる。
お金のことも、身体のことも、ちゃんとわかってる。

でも、それを全部やめたときにあたしゃどこで誰と話せばいいんだろうって少し怖くなるのよ。

ゲイバーに行って、おしゃべりして、「ああ、ここにいていいんだな」って思えた瞬間に、「もう一杯だけ」「あともう1時間」ってなる。

 

たぶんこれは、ただのお酒の話じゃない。あたしにとっての「居場所」の話。

正解はまだわからない。
これが弱さなのか、ただの甘えなのか、
それとも生き延びるために必要なことなのか。

 

これからもずっと同じことを繰り返す。
それでも、行ってしまう。

 

推しに会う夜は、だいたい飲みすぎる。

レインボーを脱いだ私たち――クィアはどこへ行った?

もじゃですこんにちは。

数年行ってなかったですが、今年久しぶりにTRP(現:TokyoPride(TP))で行われる代々木公園でのフェスティバルに行ってきました🌈

(数年行かなかった理由はこちらに書いております。)

 

mojahyo.hatenablog.com

せっかくなので、今年2025年の「東京プライド」の様子と考察を書いてみます。

渋谷駅から来場しました。電柱が被ってしまった。

シスジェンダーの擬態を強いられるクィアたちと「普通」の波

2025年の東京レインボープライド(TRP)が終わった。
渋谷の街をカラフルなフラッグと人の波が埋め尽くすこの季節を、(ここ数年はSNS上でだけど)毎年心待ちにしてきた。でも、今年のTP会場を歩きながら、ふと心の中に沈殿したのは、ある種の寂しさと違和感だった。

「なんか、地味じゃなかった?」

1日目に参加した何人もの知人が、同じ感想を口にした。

たしかに、以前のTRPにあった「圧倒的な色と声、身体の解放」といった高揚感は、少し影を潜めていたように感じる。

 

「地味」という言葉は決して悪意ではなく、むしろその違和感をどう言葉にすればいいのか分からないがゆえの表現だったのだと思う。だが、その「地味さ」の裏には、今の社会がクィアに求める“生きやすさ”と“目立たなさ”の狭間で揺れる現実があった。

 

昨年の「炎上」――表現の自由と公共性のジレンマ

まず、今年のTRPを語る上で避けて通れないのが、昨年2024年の「炎上」騒動である。
当時、パレードの中で行われた露出度の高い衣装や、緊縛パフォーマンスに対してSNS上で「不適切だ」「公衆の場ですべきではない」といった批判が巻き起こった。子どももいる公共空間での性的な表現はふさわしいのか。表現の自由と公共の規範のあいだで、激しい議論が繰り広げられた。

TRPの主催者は声明を出し、「誰もが安心して過ごせる場作り」を目指すとした。だが、その後、主催者の中でも「規律」や「露出の制限」が語られるようになり、結果として“派手すぎない”“目立ちすぎない”という無言のルールが強くなったように感じる。

このときから、TRPは“抗議”の場ではなく、“調和”の場へとシフトしはじめたのかもしれない。

「参加者へのお願い」看板。これを読んだ人どのくらいいるだろうか。

スポンサーの離反――政治の影響と企業の沈黙

もう一つの大きな変化は、主要スポンサー企業の離脱だ。
かつてLGBTQ+支援の象徴とされたAmazonGoogle、Metaといったテクノロジー企業が、今年はTRPから静かに身を引いていた。その背景には、アメリカで進む反DEI(多様性・公平性・包括性)政策の影響がある。トランプ政権の保守的な流れは、企業が「政治的に安全な中立姿勢」を選ぶ傾向が強まっている。

日本でもそれに真似るように、企業は「LGBTQフレンドリー」を表に出すことに慎重になりはじめた。目立ちすぎない、主張しすぎない、誰も不快にさせない。その結果、企業の“支援”はますます無難で抽象的になっている。

その空白を埋めたのが、MAC(親会社エスティーローダーはパレスチナ問題をめぐるボイコット対象)や、ワーナーブラザーズ・ディスカバリー(トランスフォビアと批判されるJ.K.ローリングが関わるドラマ制作を進行中)など、むしろLGBTQ+当事者から批判されている企業だった。「なぜ呼んだのか?」という声もある中でTRPは、彼らを招いたことで、支援という名の企業PRイベントという性質をさらに強めたようにも見える。

 

渋谷に現れた「ALLY」の企業博覧会

パレード当日、渋谷駅前のブースエリアを歩いたあたしは、そこである種の“企業テーマパーク”を目の当たりにした。わなげ、くじ引き、金魚すくい、アンケート、記念写真、「夢や悩みを紙に書こう」といったアクティビティは、どれも一見楽しくにぎやかだが、「これってLGBTQ+と関係あるの?」と思わずにはいられないものも多い。

どの企業も「どんな属性でも働けます!」を主張しているが、その言葉は現実の労働環境とどう結びついているのだろうか。それはあくまで“企業目線”のものであり、現場でのセクハラ、トランス差別、職場でのカミングアウトの困難さといった「当事者の現実」に踏み込むものはなかった。

むしろ「ALLY企業です!」と掲げることで、その場だけの自己免罪符を得たかのような空気すら感じてしまう。

当事者の現実の痛みや願いは、パネル展示の横で「体験型ワークショップ」として消費されているようにも見えた。。。

 

クィアさ」が後退した現場

印象的だったのは、会場を歩く人たちのファッションがとても「普通」だったことだ。以前は多くいたドラァグクイーンや、レザー姿、ゴス系の人々、身体表現を重ねるパフォーマーなど個性的な装いで自分を表現していた人々の姿は、今年はほとんど見かけなかった。どこかで見たようなTシャツ、ジーンズ、スニーカーといった「普通」の服装の来場者がほとんどだった。

最初は「今年は暑いし、地味にしてるのかな」と思ったが、周囲から聞こえてきたのは「目立ちすぎると写真を撮られて晒されるから」「叩かれたくないから」という声だった。

つまり、クィアであることを「見せる」ことが、無言のプレッシャーや批判の的になりつつあるのだ。

「地味になった」TRPの最も象徴的な部分は、ここにあるのかもしれない。

「目立たなければ安全」「普通にしていれば攻撃されない」

それは自衛でもあるが、同時にクィア性を可視化すること自体がリスク」になっている証拠でもある。

 

ステージとレインボーの「不可視化」

また、ドラァグクイーンショーなどが行われた野外ステージはテントで覆われ、列に並ばないと入れない構造になっていた。中では盛り上がっていたかもしれないが、外からは「何が行われているのか見えない」。そうした「クローズド」な形は、かつての「誰でも来て、見て、参加できる」パレードとは異質なものだった。

 

「レインボー」が消えた風景

不思議だったのは、レインボーのアイテムを身につけている人が少なかったことだ。
あれほど街中を彩っていたはずのレインボーフラッグ。レインボーの帽子、服、バッグ、ネイル。どこに行ってしまったのだろう。

むしろ、性的マイノリティの来場者よりも企業ブースのスタッフの方がしっかりとレインボーを取り入れている場面すらあった

レインボーとは、本来「多様性」の象徴である。――それぞれが異なるセクシュアリティや生き方、抵抗の記憶を示していた。

もともとレインボーフラッグは、1978年にアメリカのアーティスト、ギルバート・ベイカーによってデザインされた。起源はサンフランシスコのプライドパレード。赤は「生命」、橙は「癒し」、黄色は「太陽」、緑は「自然」、青は「調和」、紫は「精神性」を意味していた。
この旗は「一つの色では語れない」私たちの多様さを表し、そして「この世界に存在していいんだ」という希望のメッセージでもあった。

だが今、その旗を身につけることすら「目立ちすぎる」として、敬遠されるようになっている。
個人が「安全」のためにレインボーを外すことが責められるべきではないのはもちろんだが、それでも「見えない」TRPは、果たして誰のためのパレードなのだろうかと考えざるを得ない。

 

「祝祭」から「同化」へ?

それでも、TRPには光があった。
筑波大学の「クィアボードゲーム」(混んでて参加できなかったけど)、長年活動してきたNPO団体のブース、オールジェンダートイレの設置など、草の根の運動は健在だった。
だが全体として見れば、「クィアではない誰かの視線に合わせて、整えられてしまったTRP」だった。

それは祝祭ではなく、「同化」を促す空間だった。
「あなたがクィアであることは構わないけど、なるべく”普通”にしていてくれたら、社会も受け入れやすいよ」。そんな無言のメッセージを受け取ってしまうような、空気があった。

野外ステージ裏の仮設トイレ。オールジェンダーではあるが段差がある。

 

プライドとは「異物感」を抱きしめること

レインボープライドは、そもそも「反対運動」から始まった。
1969年のストーンウォール暴動。警察によるゲイバーの襲撃に、クィアの人々が立ち上がった夜。あの怒りと叫びこそが、今のプライド運動の源流だ。
あのときのレインボーは、抗議と希望の両方を孕んでいた。

性的マイノリティ当事者は「目立つこと」によって、存在を主張してきた。
「見えない」ことは、「いない」ことと同義になる社会の中で自らを可視化し、連帯し、時に過激で、時に美しく、時に奇妙に、時に裸で、「ここにいる」と叫んできた。

だからこそ今、「静かになった」このパレードの中に、もう一度声を取り戻したい。
企業がどんなに表面を塗り替えても、私たちの身体や生活は、そう簡単には均質化されない。
派手な服でも、地味な格好でも、誰にとっても「自分らしくいられる」場であってほしい。
レインボープライドは、誰かに「見せるため」のイベントじゃない。私たちが「見えなくされてきた」歴史に、反抗するための場所だ。

もちろん、TRPが変わっていくことは避けられない。時代が変われば、支援の形も、パレードのあり方も変化するだろう。でも、私たちは見失ってはいけない。

――レインボープライドは、誰かの「好感度」のために存在するものではない。
――「目立たない"普通"」の人だけが生き延びられる世界を肯定するものでもない。

たとえ「普通」や「地味」が安全な選択だとしても、それだけではこの世界は変わらない。

2025年、渋谷の街角に響くその小さな声を、あたしは忘れない。


来年こそ、また堂々とクィアを身にまとって、笑い、怒り、歩いていたい。
それが「プライド」という名の希望なのだから。

 

ホゲと「女装」と、トランスジェンダー&女性蔑視 ー「痴女丈ナイト」をきっかけにー

 

2020/9/26に新宿二丁目でこんなゲイクラブイベントがあったらしい。 

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その名も「痴女丈ナイト」

 

「『痴女丈』ナイト」のネーミングと、「痴女装」「眼で楽しむ視姦」、、、、

 

これはあかんやろー!!

 

いくら二丁目のゲイの内輪でやるって言ったって、そのイベントに参加できない「脚が出てる女性」を男性側から痴女呼ばわりするのはダメー!!

 

女性が脚を見せるのは基本的にはファッションの一環であって、男性を惹くためじゃないわ!

 

シスジェンダーヘテロセクシュアル(ノンケ)の男性の集団よりも、シスジェンダーゲイの男性集団の方がめっちゃ女性を見下してる感が強くてたちが悪い。パワハラセクハラも良いところ。。。

 

シスヘテロ(ノンケ)の方が最近こういう事きちんと考えてやってるのに、恋愛対象セックス対象じゃないからと言って、セクマイ内でこういう「女性蔑視」「女性をバカにすること」をやっちゃいけないでしょー!!

 

文化盗用の度が過ぎる!!

 

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こんにちは、もじゃです。コロナ禍で皆さん元気で生きていますか?

 

今回は(いつも?)怒りのもじゃからスタートです。さすがにびっくらこきました。

 

ちなみにTwitterで「痴女丈」と検索したら、ほぼほぼゲイのアカウントしか出てきませんでした。

なんじゃこら???

 

さて、きっかけは「痴女丈」ですが、今回のテーマは

 

「ゲイコミュニティ・ゲイ文化と、トランスジェンダー&女性蔑視(ミソジニー)」です。

 

まぁ結局いつもの通りですわ。

ゲイの要素とトランスジェンダーXジェンダー/ノンバイナリ・たまに性自認が女性になる)の要素を持って新宿二丁目で「オカマ」として飲み歩いているあたしもじゃの、飲みながら・Twitterを見ながらのゲイコミュニティへの違和感をつづります。

 

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言いたいこと

結論を言えば、ゲイの世界って基本的に、シスヘテロ男性(ノンケ男性)の世界よりももっと「漢」な世界だなって(特に行動や内面性で)。シス男性以外への蔑視と差別が甚だしいな。だからこそ、自分とその集団の「らしさ」を他人に押し付けたり、他人の生き方をバカにして否定するんじゃないよ、ってこと。

 

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個人的な経験を話そうかな。

 

まずは「ホゲ」

 

改めて説明すると、「ホゲ」とは「男性」が「女性的」な言動をする事のゲイ用語ですね。別の言い方をすると、「典型的なゲイ」とされる「オネエ言葉」「おかま」言われるやつ。

 

あたしの場合は、トランスジェンダー要素があるから、あたし自身の男性性を低くするために「ホゲ」を「非男性性表現言語」として使ってます。ゲイ文化に染まるずっと前から。

 

ところが、「ホゲ」には苦い思い出があるのよ。

 

大学生の時、とあるセクシュアルマイノリティの当事者サークルに入ってて、サークルの旅行(関東近県)の時

 

もじゃ「(腕にカバンを下げながら)ちょっとコンビニに行ってくるわね。」

サークル員「もじゃ、宿の外でその言葉遣いと仕草してると他のサークル員のアウティングに繋がるから止めてね。」

 

そう、簡単に言うと、あたしのアイデンティティを抑圧されたのよ。

 

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それから「女装」

 

過去の「TRPで受けてしまった云々」の記事にも記載している例があるけどもうひとつ。

そのサークルで新歓担当をしてて新歓飲み会が開催される直前こんなことを言われた。

 

サークル員「もじゃ、当日は『変な格好』は絶対にしないでね。」

 

当時はセクシュアリティの混迷期だったので、服装も男性装・女性装、時にはしっかりと顔面を化粧したりしたこともあった。

この人が言いたかったのは、新歓で初めてセクマイの人に会う人もいるから怖がらせないように「女装」はしないでほしい、ってことだったのかなと思う。

 

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で、性自認aiko』」問題

 

これは去年くらいにTwitterで炎上した案件。

 

性自認は「『性』別の『自』己『認』識」が定義。

主にGIDGD性同一性障害・性別不合)の診断の際に重要な要素として取り扱われる概念なのね。(ちなみに、トランスジェンダーでは、性自認よりも「実際の生活でどういう性別で生きているか」が重要な要素になってくる。)

 

それを、とあるシスゲイ(発言元は一般ゲイ、その後「LGBT研修」などを行うゲイが拡散)が

 

「(自分は男でゲイだけど)あたしはaikoにめっちゃ共感するし、同じようなメンタリティだから、あたしの『性自認aiko』だ。」という主旨の発言した事が非シスジェンダー当事者で大炎上。

 

もちろんあたしもこれは批判した。

 

言いたいことはわからないでもない。きっと「自分はもはやaiko」と思ったんだろう。

 

でもそれはパーソナリティの1つに過ぎず、ましてや「性別」の自己認識ではないの。

 

「丸の内OL」とかいう表現もそうね。

企業世界では「ビジネスマン」「OL」から「ビジネスパーソン」に変わったけど、ゲイ文化では「リーマン」(フェチ的に)「OL」(パーソナリティ表現)がまだ多いわね。

 

つまり、完全なる『文化盗用』なのよ。

 

「文化盗用」と言えば、ハッシュタグ"#blacklivesmatter"、これもアンチとして"#whitelivesmatter"などが出てきたが、”blacklivesmatter”の方から「このハッシュタグの文化盗用は絶対にやめてください。」とアナウンスが出ているのよ。

 

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何にせよ、ゲイが中心のコミュニティでは、Xジェンダーであるあたしは、とはいえ本来なら「ありのまま」でいられるはずの所で、「シスジェンダー男性」の振る舞いを要求される事が多々あるし、トランスジェンダーやシス女性の「言葉」を「遊ぶ」事がよく見られるの。

 

とても辛いことよ。

だって、自分のアイデンティティを否定されてるんだもの。

 

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あたし個人の経験から離れて、

コミュニティ内での「ホゲ」「女装」を話そう。

 

「ホゲ」が使われるシーンは主に2つ。

◯シスヘテロ(ノンケ)に対してステレオタイプな「オカマ」を演じるため

◯「ゲイの友人同士でくだけたシーンで仲間内でお喋りする」時

 

ここでは後者について話すね。

 

ゲイの友人同士でくだけたシーンで「ホゲ」はよく見かけるんだけど、俗にいう「キレイ売り」、つまり、主にSNS上で出会った人(特にイケメン)と初めて会う(特にセックスや恋愛に進みそうな予感がする)時に、「ホゲ」を隠して男ぶる事が多々あるの。相手だってホゲてるかも知れないのに定型文的に。

 

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それから女装。

 

ゲイシーンで女装するのは主に2

◯ショーイベントやクラブでのゲイナイト、ゲイバーのパーティなどで「プロ」が「女性」に扮する「ドラァグクイーン

◯ハロウィンなどの季節性イベントの時に、ゲイバーや売り専などのゲイ職業に就いた事がない「素人ゲイ」が楽しみで女装するパターン

 

遅くとも1969年の「ストーンウォールの反乱」の時期にはゲイシーンで「ドラァグクイーン」は存在してたのね。シスゲイ当事者もトランスジェンダー当事者もいて、ひっくるめて「ドラァグクイーン

その後、白人ゲイによる「女装&トランス女性排除」の権利運動もあったりして現在に至るわけなんだけど、

 

現在あたしが肌で感じるのが

 

「女性的・中性的なゲイ&トランスジェンダー」を排除する「男らしいゲイ」が存在する事。その排除性の一方で、コメディとしての「ドラァグクイーン」は称賛されるし、「夜」に「女装」をする人もそれなりにいるという事。

 

これは一体どういうことなんやろ?

 

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ここでゲイバイ男性向け出会い系SNSを見てみようかな。

 

あたしゃ複数の出会い系アプリに登録しているんだけど、いろんな人の自己紹介を見ると思う事があるのよ。

 

「ホゲる人NG」「自分はホゲてません」「オカマNG

「女々しい人NG」「店子や売り専ボーイNG

「普段はノンケ生活です」「秘密厳守で」「妻子あり」

「ゲイの世界に慣れていません」「純日本人です」

「常識のある普通の人が良い」

 

とか。

 

掲示板風にまとめると

 

 

「家で全裸待機してます。秘密厳守で面倒抜きでサクッとヤリたいす!

普段はノンケ生活で染まってなくて、顔悪く言われません。

ホゲてる人、売り専ボーイ店子、女々しい人は生理的に無理です!」

 

 

 

みたいな?

 

要するに、「純朴」な「男」を演出する「キレイ売り」(=性的指向的にゲイバイ男性に「より魅力的に見える」演技)のために、女性性や女性ジェンダーとか、「普通でない様子」を隠し、他人の属性や特徴、さらには職業を排除差別する様子が見えるのよ。

 

確かに「ゲイ」の定義は「男性同性愛者」。多くの場合は性行為的な意味で、男性への性的指向をさすけども、それを表明するのに女性性のある人物(=「男らしくない『男性』」とか)や「プロ」の排除を行わなくてもいいのでは?と思うわけですわ。

 

当然そこには、そのアプリに登録しているであろう「トランスゲイ」への偏見も多く見られるわけで。

 

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偏見すぎる発言にはなってしまうけど、

 

現実の世界(特に「昼職の勤務先」とか)でセクシュアルマイノリティであることを隠して、SNS上など「裏の自分」「エロ裏アカウント」でセクシュアルマイノリティとして楽しもうとする人は、エロのこと(ベッドの上でのこと)しか考えない状態になってるのね。

 

「昼の世界」では、この社会の階層トップである「シスジェンダーヘテロセクシュアル男性(ノンケ男)」として生き、その世界の慣習を内面化し、「裏の世界」では男らしい男としか出会う事がない故に、「ノンケ男よりも強い『漢』」になってしまってる恐れがあるのよ。

 

その価値観がベースにあると、トランスジェンダー、特にトランス女性やXジェンダー・ノンバイナリ(などのいわゆる「男・女」以外の性別)の人間に対しての差別に加担してしまう事が、結構Twitterで多く見られるのよね。

 

まぁ、だからこそ実は、「男らしく・ノンケっぽく生きなきゃいけない」っていう自分の中の束縛ー「男らしさの『呪い』」で苦しむケースも多々あるんだけどね。だからこその憂さ晴らしはあるのかも知れないわ。もちろん、憂さ晴らしが偏見差別誹謗中傷になってしまったらダメだけど。

 

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ジェンダーセクシュアリティの「脱ぎ着」が可能か不可能か

 

もしかしたらこういう価値観は、普段どういう「性」の立場・環境にいるか、もっと言うと、いわゆる「昼間の生活」と「夜の世界」で「セクシュアリティジェンダーを『脱ぎ着』している」かどうか、昼の社会にいてバレないような「埋没」の生活かどうかで変わってくる可能性がある。

 

あたしはいろんなセクシュアリティを持ってるけど、他人から見れば「わかりやすい典型的な『オカマ』」をやっている(というかやらざるを得ないというか)。昼でも「夜」でも。

 

本当は、そんな中途半端じゃなくて、昼も夜も全人生かけて「オカマ」やりなさいよ、と言いたいところ。

 

そんな、セクシュアリティ の「脱ぎ着」をするかどうかで、感情や思考、言動も変わってくるのよね。Twitterとか某アプリの自己紹介とかハウリングでずいぶん見てきてる。

 

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「非・男/女らしさ」があってもいいじゃない。

「男らしさ」「女らしさ」があるのなら、本人がその「らしさ」を持つのは問題ないけど、他人に「らしさ」を押し付けたり、そうじゃない「らしさ」を持つ人をバカにして否定する筋合いは無いわ

 

もしこの記事の内容が押し付けがましく聞こえるなら、それは普段から「性別らしさ」を押し付けているからこその「反動」としての嫌悪感かも知れないわね。

 

たまにTwitterで「ゲイあるある」「レズビアンあるある」「ボーイッシュの定義」とかっていう(そこそこバズる)ツイートあるけど、あれも気をつけないと、「らしさ」の押し付けになりかねないから、作る側は十分に注意しないといけないんだけどね。

 

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ここまで言うと、

「ゲイ差別・男性差別してんじゃねぇ」とか

「金輪際二丁目に飲みに来るな」とか

 

言われそうですが、セクシュアルマイノリティの最大マジョリティであるシスジェンダーのゲイが、それ以外の性別やセクシュアルマイノリティに行ってる偏見差別誹謗中傷を内部批判して悪い事を変えていくべきだし、あたしの立場から、「アンチ男性性」「悪く行き過ぎた男性性への批判」として声をあげなきゃならないの。苦しいけども。

 

外見も内面も中性的なゲイが好きだけど、男臭いマッチョなゲイコミュニティやゲイ文化は好きじゃない。でも、あの街でいろいろ助けてもらった記憶も多くあるし、今つながりがあるのは二丁目だから、これからも変わらずに電車に乗ってどっこらせっせと通うわ。

 

東京郊外に住んでるあたし、地元では出会いも友達もほぼ皆無だからこそ、二丁目に行って友達と会って喋ってお酒飲んで、その中でさらに仲の良い親友を作って。。。

 

あの街はあたしの数少ない「居場所」なんです。だからこそ、もっと良い環境にしたいのよ。それだけ。

 

仕事頑張ってお金稼いで、ゲイバーに売り専、通いつめようあたしゃ。

最近流行の「セクシュアリティ診断・分析」サービスをレビューしてみた

もじゃです。ブログはご無沙汰しております。

 

先週くらいかな、Twitterで2つのセクシュアリティ診断・分析」サービスセクシュアルマイノリティ界隈で話題となりました。

 

1つは、主にLGBTQ+の就活転職を応援しているwebサイト「JobRainbow」さん。

 

もう1つは、セクシュアリティ分析を専門にやっている(?)「anone,」さん。

 

やってみて、「お!自分のセクシュアリティ がちゃんと表示された!!」とか「おや?全然違うセクシュアリティ がでてきたぞ?」とか、いろんな感想がTwitterで投稿されています。

 

今回はそれら2つの「セクシュアリティ診断・分析」のレビューとともに、問題点と改善点を出すことによって、もっとLGBTQ+とwebの掛け合わせを促進させてもらったらいいなぁと思って、本記事を書くことにします。

 

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そもそも前提のツッコミとして...

 

セクシュアリティ の「診断」「分析」は、あまりよろしくない、ということを言っておきます。  

セクシュアリティ には「自己決定権」、当てはめるかどうかも含めて、全ては自分で決めること、というのが大前提です。  

ところが、このような診断分析だと「他者によるセクシュアリティ の押し付け」になりかねない恐れがあります。  

 

あくまでも提案・可能性、「こうかもよ」「こんなのあるよ」程度でおさえるべきです。

 

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【診断の背景】

 

各サイトの「目的」を以下に引用します。  

 

☆JobRainbow☆ 

「自身が”LGBTに当てはまらない”と思っている人にも、固有のセクシュアリティがあるんだと実感してもらうこと。 また”自分はLGBT”と思っている人にも、新たな発見をしてもらう。そして”自分はLGBTなのかも?”という人には、より自分らしさを知るきっかけになってほしいと願っています。」

「複雑なセクシュアリティ用語の理解」

 

☆anone,☆

「あなたが普段感じている、性に関する疑問や不安が解消されるきっかけになるだけでなく、これまで性に触れてこなかった人でも、潜在的に気づけなかった自分を見つけることができます。」

 

以上からも分かる通り、まとめると以下のような目的があるといえます。  

 

・多様で複雑なセクシュアリティ用語の認知  

・「非セクシュアルマイノリティ」のセクシュアリティ意識化の助け

→「シスジェンダーヘテロセクシュアル」を中心としたマジョリティのセクシュアリティ認識と表明

セクシュアルマイノリティ当事者のクエスチョニング的「もやもや」の解決

 

要は自己と他者の理解への「きっかけ」にすぎないので、それ以上の利用はやめたほうがいい(と、各サイトでも推奨され、記載されています。)

 

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【質問項目】

 

各診断・分析の質問項目は以下の通りです。

(無許可転載申し訳ありません。。。) 

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JobRainbow「セクシュアリティ 診断」

 

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anone, 「セクシュアリティ 分析」

 

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【良いところ悪いところ】

 実際に私が使用して感じたメリット・デメリットは

 

☆JobRainbow☆

◯メリット

・設問数が少なくて取り組みやすい

・設問が明確。何のセクシュアリティを尋ねているのかがわかる

・不要な質問項目は省略されるようになっている

アルゴリズムのデザインがしっかりしている

 

◯デメリット

・過去にLGBTQの他に関する性的「しこう」の紹介記事を出していたが、それは反映されていない

・おそらくAセクはでてこない仕様?

 

 

☆anone,☆ 

◯メリット

・質問項目が多い分、より「正確」な判定がでやすい

・当事者でも認知度が低いセクシュアリティも含まれていて、多様性に富んでいる

 

◯デメリット

・「表現する性」項目の結果が意図しない結果になりがち(後述)

・「男女関係ない」はバイを聞いてるのかパンを聞いてるのか不明瞭

・設問中の「同性」は身体性・戸籍性・社会的性など、どの性別要素をベースにしたら良いのかわからない

・おそらくAセクはでてこない仕様?

・「〜の経験がある」項目。経験はないけど欲望はある時はどう選択したらいい?

 

です。実際にやってみた人の中で、いろいろ感じることがある人もいるかと思います。

 

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【各設問の問題点・改善点】

 では本題です。

ゲイの要素とトランスジェンダーの要素とその他のセクシュアリティの要素があるわたし、もじゃが個人的に気になった設問を取り上げて、問題点と改善点をツッコミたいと思います。

 

各設問に対するツッコミを簡単に表でまとめてみました。

表中の「因子」は「設問によって聞きたいであろう性質」、「クラスタ」は「因子の性質から得られうる具体的なセクシュアリティ用語 」を示しています。

 

全ての項目に対して文章でツッコむのは大変なので、個人的に特に重要だと思った項目のみ文章でいろいろと書きます。

 

なお、もちろんわたしも全てのセクシュアリティを熟知しているわけではありません。本投稿では「セクシャリティAtoZ:あとりえ 85-n.http://www.85-n.net/blog/sexuality-atoz/ を参考にしています。

 

☆JobRainbow☆

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「1,あなたの身体的な(生まれながらの)性別は?」

出生時の性別を尋ねている設問だと思います。「身体的」な性別の場合、性分化疾患当事者が回答できない場合があるのと、現在の身体性と出生時に割り当てられた性別が違う人がいる時に回答しづらいかなと思います。

→ 「身体性」を尋ねる場合は遺伝子レベルの「XY」「XX」をきいたほうが適切だと思うので、選択肢「その他」を増設。

また、戸籍性別変更者もいるので、別設問で「現在の戸籍の性別は?」を増設するのもいいかも。当然ながら、「出生時に割り当てられた性別は?」も加えた方がいい。

 

「2,あなたは自分をどう認識している?」

いわゆる性自認の項目です。「トランスジェンダー」と「性別不合(「性同一性障害」)」では大きく変わってきます。要は、「身体の性別に対する違和感」があるかどうか。この2者では立場が大きく変わってきます。(病理モデルと社会モデルとの違い)

→別設問にて「身体の性別と自己認識している性別との間に違和感があるか?」を増設する。また、「(性自認とは別で)社会的にどのような性別で生きているか?」の設問もあった方が良いかと思います。

 

☆anone,☆

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「1,男性・女性両方の人を独り占めしたいと思ったことがある。」

この設問は2つの要素が含まれています。

「男性女性両方」で「バイセクシュアルかどうか」、「独り占めにしたい」で「交際関係性における『モノアモリー(交際関係においては1対1の関係性を指向する)』かどうか」。どっちの要素で回答すればいいかわからないので、1要素につき1設問が良いでしょう。

「男性女性両方に(or性別関係なく)恋愛性愛指向がある。」「交際関係においては1対1の関係性を重視する。」「恋人は1人を独占していたい。」などの設問に分割する。

 

「9,自分は他の人から見て魅力的にうつっていないと思うほうだ。」

おそらくルックスを重視しているか内面性を重視しているか、少し飛躍すると、「絆」が重要な「デミセクシュアル・デミロマンティック」の項目にも見えなくはないですが、他者からの魅力で規定されるセクシュアリティ 用語がどうやら存在しないっぽいです。

→「セクシュアリティ」分析なら不要。ただ、恋愛で重要視する事柄や回答者の性格特性・自尊心強弱を聞く意図があれば問題無い

 

「13,同性の大勢のグループが苦手だと感じることがよくある。」

ホモソーシャル、学生の体育会系部活などでの、特に「男同士の熱い絆」みたいなやつに多く見られる性質で、異性愛者排除性のある同性同士の同質性集団社会のことを言いますが、おそらくこの設問はホモソーシャル嫌悪性を測定しているのかと思います。

ところが、「同性」である他者の性的指向性によって苦手かどうか変わってくると思います。例えば、ゲイ同士なら安心するけどノンケ男子集団は苦手、とか。

もしくは、「集団の方が楽しいか1人or少人数でいた方が楽しい」といった性格特性を問うてる可能性も否定できないですね。

ホモソーシャル嫌悪性を問うのであれば「男同士の熱い絆のようなものに自分を溶け込ませるのは苦痛だ」などはいかがでしょうか。

 

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「17,自分が最も好んで着る服装を選んでください。(服の画像から選択)」

「36,男性/女性用に限らずいいと思ったものはなんでも取り入れる方だ。」

これは「表現性」の中でも、ユニセックスジェンダーフリー指向性を問う設問。Twitterでも問題視されていましたが、シスジェンダーのゲイ男性が「表現する性」の結果で「Xジェンダー」と表示されてしまう事象があり、困っていたツイートがありました。

 

つまりこの設問はジェンダーアイデンティティ(「性自認」)」と「ジェンダーエクスプレッション(表現性)」との混同を起こしているものです。

例えば、性自認男性の身体戸籍性男性の異性愛者(シスヘテロ男性)でも、若年層、特に原宿界隈では「メイク男子」「スカート男子」のようなことがよくあります。それを「Xジェンダー」と言えるのでしょうか?言えないでしょう。

 

要は、以下の因果関係が成立するかどうかの話です。

Xジェンダー「だから」ジェンダーフリー指向性がある

ジェンダーフリー指向性がある「から」Xジェンダーである

 

→この設問を残すのであれば「ジェンダーフリー指向性」を問うものにして、結果画面の「表現する性」ではジェンダーフリー指向性の有無」のみを表示すべきで、「性自認」系のセクシュアリティを表示すべきではありません。

 

「23,友人と恋人との区別をつけなくてもいいと思える。」

この区別をするしないで規定されるセクシュアリティ用語がなかったので、よくわかりませんでした。

ただ、いわゆる「セクシュアリティ」には現時点ではなっていないものの、セクシュアリティ問わずこの話題はよく出ます。「友人と親友と恋人とパートナーの違いって?」みたいな。

推測ですが、友人関係と交際関係とを明確にすることである種の独占欲、モノアモリーかオープンリレーションシップかを問うているのかもしれません。

ちなみにわたしは友人だろうが恋人だろうが、大切な人は大切です。この人生で恋人できたことがありません。告白されたこともありません。それはそれで悲しみ。

 

「28,『好みの同性のタイプは?』と聞かれたら思い浮かべることができる。」

同性に対する恋愛性愛指向性、異性愛者か同性愛者かを判断する設問。問題は「同性」の定義です。言いたいことはわかるけども、、、

ここでの「同性」がどの要素をベースにしているかわからないんですね。

身体性ベースなのか戸籍性ベースなのか性自認ベースなのか社会的に生きている性別ベースなのかその他、、、

基本的に「タイプ」っていうとゲイ用語で「イケる」、要は性愛対象の話だとは思います。もしかしたら、男性異性愛者の人が「この男性歌手かっこいいー」というのを反映する可能性もありますね。

 

「31,男の子っぽく/女の子っぽく見られたくない。」

主に外見における中性性を問う設問。

問題は「男・女の『子』」。

基本的に「セクシュアリティ」は性別要素だけを取り扱う概念。「子」があると、年齢要素も入ってくるかと思います。もし年齢要素も問うのであれば、ペドフィリア指向や「ロリコン」「ショタコン」も設問に入れなければなりませんね(大議論になりますが)。

「男っぽく・女っぽく見られたくない」が適切。

 

「32,同性の友人の体がつい気になってしまったことがある。」

これは同性の身体接触性に関する設問で異性愛者かそうでないかを問うてる設問。

問題は、回答者が思春期の年齢層の場合、異性愛者同性愛者問わず、第二次性徴で他人の外性器の形状と自分のとが同様かどうか不安になることが多くあります。この設問の場合、そのような不安定さが性的指向へと反映されてしまうことがあります。

「同性の友人の体が性的にきになってしまう」がいいかな。

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「34,交際相手とはおだやかな関係性を重視している。」

関係性の「おだやかさ」が規定するセクシュアリティ用語が現時点では存在しない模様です。

ただ、これもよく酒の肴として話題に出ます。「交際したらずっとアツアツな関係性がいい」とか。詳しくは、後述の「愛のトライアングル理論」「ラブスタイル類型論」を参考にしてもらえれば。

→いわゆる「セクシュアリティ 」とは別の項目として問うのは面白そう。

 

「40,交際相手の外見がよければ内面は気にしない。」

「44,外見ではなく、相手の人間性に強く魅了される」

「51,これまで強く惹かれた人はルックスに共通点がある。」

外見的・内面的魅力重視で規定されるセクシュアリティは「デミセクシュアル・デミロマンティック」系が近いと思われますが、微妙です。

 

「43,人生のパートナーがいることを重要だと感じない。」

リレーションシップ指向性のノナモリー、交際・恋愛関係を求めないかどうかを問うてる設問。

ただ、恋愛関係とパートナーの必要性は必ずしも結びつかないケースがあります(友情結婚とか)。

 

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「47,『筋肉質な人』『胸の大きな人』などの特徴がある人に強く惹かれる。」

対義は「中性的外見指向」。

この問題は性的「指向」なのか「嗜好(フェチ)」なのか

例えばゲイでも、筋肉質な人が好きな人もいれば、正反対の中性的な細い前髪系が好きな人もいるでしょう。

要は、外見的な「性別らしさ」に対する好意は「性的指向」なのか「性的嗜好(フェチ)」なのかは議論中で、「セクシュアリティ 」として分析するのは一旦保留した方がよい設問です。

 

「48,交際相手であったとしても、必要以上に相手のことを知ろうとは思わない。」

何のセクシュアリティを問おうとしているのかよくわからない設問。心理学における「SVR理論」や「ラブスタイル類型論」(後述)においては、恋愛関係は魅力があって相手との価値観が合ってからこその「交際関係」だとは思うけど、この設問の関係では「交際関係」と言えるかはなんとも言えないでしょう。

 

「49,対人関係において嫉妬や不安を感じることはほとんどない。」

おそらくリレーションシップ指向性で「オープンリレーションシップを求めているか」の設問。

→「対人関係」よりは「恋愛関係」「交際関係」にした方が適切。

 

「50,『人類愛』という言葉は自分を表すのにぴったりだと思う。」

もしオープンリレーションシップ、つまり交際関係におけるものを問うなら「人類愛」は不適切。

基本的に「セクシュアリティ」では性愛と恋愛のトピックが中心。「人類愛」「博愛主義」は現行では「セクシュアリティ 」の範疇では無いので、聞くのであれば、友愛博愛性愛恋愛その他「愛」を明確にした方が正確な結果が出るかと思います。この「多様な『愛』」は心理学では「愛のトライアングル理論」や「ラブスタイル類型論」で説明されているので、1つの参考として後述することにします。

 

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「58,交際期間が長くなればなるほど、セックスの必要性が感じられなくなる。」

長期交際期間における「倦怠期セックスレス」含むそれが何らかのセクシュアリティ用語に該当するかは不明。

交際期間における「愛」の在り方と変化に関しては「SVR理論」と「愛のトライアングル理論」で後述しようかと。

 

「60,生まれたときのからだ」

これはJobRainbowの診断の第1問と同様に、身体性と戸籍性と社会的性別うんぬんの話。

 

「63,これまで最も経験した恋愛の対象」

わたしみたいに非リアで全く恋愛経験がない場合で「わからない」を選択すると、クエスチョニングやAロマンティックと誤判断される恐れがある。

「最も経験した/これから経験したい恋愛の対象」に変更。

 

「65,他の人よりも恋愛経験が少ないと思う。」

「66,他の人よりもセックスの経験が少ないと思う。」

これは、経験の多さ少なさと、狭義の「セクシュアリティ 」に関連が見出せず、どんな内容を測定したいのかがよくわからないです。もしかしたら、性的指向的経験による自尊心を問うてるのかもしれない。

→仮に性的指向的経験による自尊心をきくのであれば、ローゼンバーグ自尊感情尺度の日本語版(星野, 1970)などの自尊心を尋ねる質問項目を追加して、セクシュアリティと心理状態との関連の分析を行うと面白いと思う。

 

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【交際関係と愛の心理学理論】

せっかくなので、設問へのツッコミででてきた「SVR理論」と「愛のトライアングル理論」、追加で「ラブスタイル類型論」、要は交際関係の進展の理論と「愛の種類」に関する(ちょっと古い)理論を説明します。

 

SVR理論(Murstein, B.I. 1977)

The stimulus-value-role(SVR) theory of dyadic relationships. 
In S.Duck(Ed), Theory and practice in interpersoal attraction.
 
パートナーシップの考え方で、出会いから恋愛、結婚(同棲)へ向かうプロセスを3段階に分け、各時期に必要な要素を示唆している理論。
 
・第1ステージ「刺激段階(Stimulus)

出会いから恋愛初期の時期。相手の外見的魅力や性格、言動、社会的評価などから刺激を受けて好意を抱く。

「かっこいい・かわいい!しゅきしゅき!」な段階ですね。

 

・第2ステージ「価値段階(Value)

恋愛関係に進んだ時期で、相手との価値観を見定める時期。特に相手との価値観の共感共有、類似性が重要で、価値観が似ているなら「おだやか」に過ごせるかと。

「わかる。うちら気が合うよね。」な段階。

 

・第3ステージ「役割段階(Role)

結婚や同棲を始める時期で、自分とは違う相手の価値観も受け入れられる段階。仕事や家事分担など、交際関係上お互いの役割分担や苦手な部分を補う相補性が重要。

「合わないところもあるけどやっぱり好き。お互いに支え合って生きていこうね!」な段階。

 

◯愛のトライアングル理論(R.J.Sternberg(1986)) 

 A Trangle Theory of Love,  Psychological Review

 

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タンバーグによると、人間の恋愛経験は以下の3つの要素から構成されているとした。

「情熱」(passion・図の「愛情」)

感情的要因・性的欲求を含む

「親密さ」(intimacy)

認知的要因・リレーションシップの近さ

「コミットメント」(commitment・図の「献身」)

意志的要因・離れられない関係性

 

これら3要素の強弱によって「愛」のタイプの傾向がわかるという。

 

・完璧愛:情熱・親密さ・コミットメント全てが強い

・好意・愛好:親密さ強く、他は弱い

・夢中・心酔:情熱強く、他は弱い

・虚無愛:コミットメント強く、他は弱い

・情熱・ロマンティック愛:親密さと情熱が強い

・友愛:親密さとコミットメントが強い

・愚愛・一方通行の愛:情熱とコミットメントが強いが親密さは弱い

・非愛:全ての項目が弱い

 

◯「ラブスタイル類型論」(Lee(1973)) 

the colors of love

愛には以下の6種あることを提示した。

 

「ルダス」(Ludus)

「遊びの恋愛(game-playing, uncomitted)」

恋愛を駆け引きのように楽しみ、相手を次々に取り替えて行こうとするので、深く関わらず、複数の相手とも付き合える。そのために、自分の情報を開示しないことがあったり、嫉妬や独占欲を示すことがなかったりする。

 

プラグマ(Pragma)

「実用的な恋愛(practical, calculating)」

恋愛を自分の目的達成の手段と考えている。例えば高い社会的地位につきたい目的で恋愛相手を選んだりする。

 

ストルゲ(Storge)

「友情の恋愛(friendship)」

友情や仲間意識に近い感覚の愛。友人関係からの進展が典型的で、相手に対して情熱な愛情や独占欲、嫉妬はあまり感じない。

 

アガペー(Agape)

「愛他的な恋愛(altristic, giving)」

見返りを求めない献身的な愛。相手の利益を第一に考え、自己犠牲を厭わない。

 

エロス(Eros)

「情熱的・エロティックな愛(passionate, erotic)」

中心核は身体的魅力、強い情動、容姿の好み、関係の結びつき。恋愛の本質をロマンスと考え、恋愛を至上のものと考えている。

 

マニア(Mania)

「偏執狂的な愛(obsessional)」

情熱的で相手に強迫的にのめり込む。それが故に独占欲が強く嫉妬深い。また、快楽と苦痛が交互に現れることがある。

 

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【全体的な考察】

このような診断・分析をするには必ず「目的」を設定する必要があります。

JobRainbowさんにおいては、「本業」は主にLGBTQ+に向けた就活転職支援サービスなので、そのサービスを利用するところにつなげるという目的があるかと思います。

anone,さんは「多様性を死語にするために。」「無意識の偏見と差別...」というビジョンを掲げてこのサービスをローンチしているとのことです。

 

要は、セクシュアリティを診断分析してセクシュアリティを知ったうえで何を提示していくのか、というところが重要なのかなとは思います。

 

「LGBTQ+」「SOGI」は、基本的には「性的指向」と「ジェンダーアイデンティティ 」、つまり「性別」と「どの性別に向く/向かない」の話題だとは思いますが、例えばリスロマンティックやサピオセクシュアルのように、性別以外の要素に対する指向性も「セクシュアリティ 」として定義されるようになってきました。そのあたりの、「何を『セクシュアリティ 』とするか」という議論も深まっていけば良いのかなとは思います。

(ただし、少し前にTwitterで「自分の性自認は(歌手の)aikoだ」という言説がゲイvsトランスジェンダー・「性同一性障害」との間で問題となりました。これに対しては、「性自認」は「性別の自己認識・性別に関わる自己の、ある種の『社会的正当化』」のためだけに使用されるべきで、「自分のアイデンティティaiko」 ではなく「性自認aiko」という言い方は、非シスジェンダーの社会的生存権利を無下にしかねないので、使用は慎重にすべきと考えています。これに関してはわたしはもう議論する気はありませんので、わたしだけじゃなく、他の非シスジェンダー当事者にも尋ねてみてください。わたしは議論(のネタ)のためにセクシュアルマイノリティとして生きているのではありません。生存するのに必死でそこまでのリソースはあまりありません。「じゃあなんでこんなブログ書いてるの?」って聞かないでー!

 

統計学的な話をすると...

JobRainbowさんは「このセクシュアリティにはこの質問がいいね」、anone,さんは「複数の質問により要素をまとめて、その要素の多さ少なさでセクシュアリティを分析する」ように見えるんです。

つまり、JobRainbowさんはクラスタ分析的、anone,さんは因子分析的であると感じます。

 

わたしは大学は心理学専攻だったのでこんな話になりますが、両者ともに設問をブラッシュアップさせてきちんと統計的処理をすると、とても面白い結果がでそうですし、

その結果から、(広義の)セクシュアリティと社会の現状とを照らし合わせた具体的な課題と対策が見えてくるのではないか、そんなふうに思います。

 

「LGBTQ+」「セクシュアルマイノリティ」のwebサイト・サービスがここ2年くらいでかなり増えていますし、同性パートナーシップ条例施行など、様々なトピックが「一般社会」にも出始めています。

 

マジョリティへの人権啓発とともに、セクシュアルマイノリティ内部間の意見の相違や争いもまとめつつ、セクシュアリティにまつわる世界がもっと良くなっていけば幸いだと思いつつ、この記事の締めにしたいと思います。

 

何とか這いつくばって、これからも生きていこうかと思います。おしまい。

セクシュアルマイノリティの水商売・性風俗従事者への心理的支援における専門的介入の必要性

あたしもだけど、周りの同年代や若い世代がそれぞれの生き方働き方で過ごしている中で、個々人として生き辛さを抱えてて、なんとか踏ん張ってギリギリ生きてる風景をここ数日でよく見かけるのよ。


多様な属性の人間が認知されてきている現代、「それぞれの生きやすさ」を追求でき、お互いに支えられるような環境になればいいな。


9/4 22時から9/5 5時まで新宿二丁目で酒を飲みながら、そこで起きた出来事を踏まえて、そう思ったのでした。(今回はそんなに飲んでないつもり←)

 

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今回のケースの発端は、とあるゲイバーで働く友達の店子から来たLINE。

 

「もじゃ!新人が『困ったちゃん』で他の店子とかママとかに迷惑かかってて僕自身も潰れそう。。。」

 

その店子によると、新人の「困り事」というのが、
今まで水商売をいくつか経験してきたもののなかなか経験を活かせなくてうまく行かず、現職場に入って十数日にもかかわらず無断欠勤が多く、人との会話のキャッチボールが成り立たず、仕事が遅く、タスクをこなせないこともある、ということだ。

 

ほほぅ、なるほど。

ということで、共通の友達である他店のママと一緒にそのゲイバーに行って、新人の様子を見ることに。

 

飲みながら話しながら、その新人ちゃんの様子を伺った。

具体的なやりとりは省略するとして、上記以外にも、

 

自分の思ったことを空気を読まずにそのまま言葉に出してしまったり、同じ内容の会話を何度もしたり、落ち着きがないのだろうか、無断でどこかへ行ってしまうといった様子も見られた。

 

その度に店子と友達のママは諭したり遠回しに注意をしたりしていたけど、あたしはとある事を悟った。

 

その新人は

・「性同一性障害」(MtF

・女性ホルモン投与による精神バランスの不安定さ

ADHD注意欠陥多動性障害

・AS(アスペルガー症候群

の可能性が高い、と。


(「性同一性障害」と女性ホルモン投与は本人談、ADHDとASは当人の言動から、5年間心理学を勉強したあたしの素人判断)

 

本人は発達障害の部分をおそらく自覚していないようで、これは周囲の人間はもちろんのこと、本人もとても苦労しているだろうと想像するんだわ。仕事中に本人はトイレで泣いていたり、母親にも泣きついたりしているとのことだから。

 

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発達障害のトピックではないが、この業界の従事者における不安定要素は他にもある。

 

例えば売り専、ゲイ風俗において。

指名が多く収入が多い若い時期は良いけど、売れなくなったり問題を起こしたりすると仕事を辞めざるを得ない状況が出てくる。そうなった時に、収入の多い時期と変わらない支出の生活を変えられず貯蓄がほぼ無くなってしまうケースもあるだろう。

 

それから、「ニューハーフ」として働いている人においては、ホルモン治療代やSRS(性別適合手術)代を稼ぐために働く人もいるけども、ホルモン治療によるホルモンバランスの崩れから精神の不安定さがあったり、仕事柄の多量飲酒、店での振る舞いとプライベートでの振る舞いとの大きな差などで困ることもあるだろう。

 

また、ゲイでよく聞くのは、ゲイがバレてしまった、もしくはカミングアウトした後で、家族と離縁状態になり地元では暮らせなくなり、住居含む身寄りのあてが無いまま都会に出て仕事をするケースもあるだろう。

 

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性風俗業界や水商売は、学歴や知識や経験がなくとも、基本的には見た目の良さやキャラクターなどを考慮した上で「やる気があれば雇ってくれる」世界。

でも実際は、言語非言語問わず高度なコミュニケーションによる顧客満足と、関連のある他店との関係性維持といったことをクリアして行く必要があって、かなりの能力が求められるのよね。ほんと尊敬する。


特にセクシュアルマイノリティにおいては、ここなら自分のセクシュアリティで、「ありのまま」の自分で働ける場所でもあり、同じ「仲間」と出会い、語らえる人と出会える場所でもあるわね。


ただ、各種精神発達系問題や、具体的な診断名はつかないものの何らかの生きづらさを抱えていると、それを解決に導く具体的な知識と知恵が乏しいことが多く、身寄りがないケースで見捨てられたりして社会的つながりが遮断されてしまうと、最悪の場合、孤独死も視野に入ってしまうこともあるわ。

 

学歴というか「勉強できて知識があること」ではなく、経験年数やコミュニケーション能力の高さや売り上げ実績がモノを言う経験主義の実力主義の厳しい世界、それが水商売と性風俗の世界の現状。

 

そうなると、何か問題が発生した場合に、自己経験に基づく行動しかできず、解決に導く専門知識や専門家にアクセスする方法がわからなかったり、そもそも専門知識や専門家にアクセスしようという発想が出なかったりするわ。

 

どうにかして「それぞれの生きやすさ」を追求できるような環境を作れないかどうか、とてもあたしゃ悩んでいるところだわ。

 

それには、この記事のタイトルにもある通り、

業界人に対する心理的支援における専門的介入が必要になるなと思うわけです。

 

たまたま今回は精神系発達系トピックが中心だけど、それ以外にも法制度的支援や経済的支援なども必要なケースが当然のことながらあるだろう。

 

それから、ママ・チーママ・先輩店子となると、一般企業でいえば社長・部長・先輩社員といった「管理職」に該当するだろう。

そうなると、従業員や後輩を育てるための管理職としてのスキル、すなわち、水商売や性風俗における管理職スキル研修教育も必要になってくるのではなかろうかと思うの。余裕もないし大変だけども。

 

そんな中であたしができることはなんだろうかと考えた時に、今まで飲みながらとかLINEしながらやってる事だけども、

ゆっくりまったり雑談しながら相談を受けたりすることかな。

 

言い方を変えれば、

三者的視点からの心理相談と心理学的スキルの技術提供

 

ですわ。それくらいしか今のあたしにはできぬ。(心理系資格持ってないからぶっちゃけあんまり大げさな事は出来ないけど。)

 

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あたし自身も様々な問題を抱えているけども、それでもお互いにコミュニケーションを取って、問題や生きづらさをゆるめていきながら、もっと良い働き方・生き方を模索出来たらいいな。

 

あたしも早くなんらかの仕事をして収入を得て、また独り立ちした生活を送れるようにしなきゃな。

 

無理せず、少しずつ。

教科書に載ったセクシュアリティの表現の話 ー「からだの性」「こころの性」「好きになる性」は「正しい」??ー

  今年、2019年の春から、中学校の道徳の教科書に「性的マイノリティ」、いわゆる「セクシュアルマイノリティ」「LGBT」の話題が記載されるようになったとのこと。

 


義務教育の中できちんとした形で掲載されるようになったこと自体は、セクシュアルマイノリティの可視化という観点からすごく重要で大きなことであるのは間違いなかろう。


しかし、当事者として気になるのは、その記載内容である。

 
学校図書の教科書にはこのような図と定義が掲載されている。

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朝日新聞デジタル 2018/3/27 22:54より

 
また、日本教科書の教科書では、「心と体の性が一致しない『性同一性障害』を取り上げる」とのことだ。(OUT JAPANの記事より

 
これは実は、社会的に存在するセクシュアルマイノリティでは大問題なのである。

 
ーー

学校図書の教科書の説明への批判

  • 「T」の定義が「トランスジェンダー」ではなく「性同一性障害」の定義になっている
  • そもそも「こころの性」の定義がはっきりとなされていない(「こころ」に性別があるかどうかの議論も含めて)
  • 現実のLGBの人間のジェンダー表現が反映できない

 


日本教科書の教科書の内容への批判

「心と体の性が一致しない『性同一性障害』」

→「性同一性障害」は2018年版ICD-11(WHO(世界保健機関)の疾病リスト最新版)では「性同一性障害」は精神疾患から外れ、「性別不合(Gender Incongruence)」という名称になり、現状に合ってない。

 


ーー

結論から言えば、

「わかりやすさ」重視のために、排除されてしまっているセクシュアルマイノリティ当事者がいる事を知ってほしい。「正しくない」説明を教科書に載せないでほしい。

ということだ。

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セクシュアリティ3要素病理モデルへの批判点

LGBT」の初心者向け書籍やwebメディアでよく見かける、

「からだの性」「こころの性」「好きになる性」

で表現される、セクシュアリティ3要素モデルの具体的な批判点は以下の通りである。

 

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セクシュアリティ3要素病理モデルの概略

 

  • 「社会的」に生きているトランスジェンダーが表現できない

    →自己内の心身モデルと、自己・社会モデルの違い

  • 「好きになる性」でトランスジェンダー好きを選択しづらい(後述)
  • 「こころの性」でノンバイナリやクィア当事者が選択しづらい
  • 男女が1軸になっている

    →心理学においてBem(1981)は外的認知対象の自己内性別化を「男性的ー非男性的」「女性的ー非女性的」の2軸で説明している。

  • 「からだの性」つまり生物学的性別がトップに来ることにより、生物学的性別が要素として前提で重要なものとして取り扱われてしまう恐れがある

    ジョグジャカルタ宣言においては、生物学的性別よりも社会的ジェンダーによる性の自己決定権が重要視されている。

  • セクシュアリティが「先天的」なものとして取り扱われてしまう

    →先天的・後天的かは議論中であり、後天的にセクシュアリティが変化した例も大いにある。

 

 

他のセクシュアリティの表現例も見てみよう。

東京レインボープライド(TRP)のサイトに記載されているのは以下の図である。

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この図の一番の問題点は「男女二元論」である。

生物学的男女二元論ピラミッドモデルとでも呼んでおこう。

 

この図では、男女二元論以外のジェンダー性的指向が説明できないのである。

事実、当該サイトでは、Xジェンダーアセクシュアルノンセクシュアル・パンセクシュアルが文章の説明での記載で終わっているのだ。「『LGBT』以外にも」という文言で。(「LGBT」はセクシュアルマイノリティの「総称」じゃないんかいね?)

 

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そこで、こんなセクシュアリティ表現法を紹介しましょう。「アイデンティティスペクトラム」である。まだこれの方が少し多様な表現ができる。

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アイデンティティスペクトラム

note.mu

詳しい説明は上記サイトを参照。

この図だと、社会的なジェンダーと、アセクシュアルノンセクシュアルを表現できる点が画期的と言えよう。


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○性の要素

ところで、性を規定する要素は様々。一例を挙げると(牧村朝子「百合のリアル」を参考に)

 

【性別系】

  • 出生時に割り当てられた性別
  • 生物学的性別
  • 戸籍上の性別
  • 性自認(自分の性別に対する自己認識)
  • 性役割ジェンダーロール。生活上の性別)
  • ジェンダー表現(服装・言葉遣い・行動など)

 
性的指向系】

  • 恋愛対象(精神的に密接に繋がりたい対象)
  • 性的対象(肉体的に密接に繋がりたい対象)
  • 関係性(モノアモリー・ポリアモリー

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たくさんある「性の要素」

 

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○「好きになる性」の曖昧さ

3要素モデルで見かける「好きになる性」は概念が曖昧だ。

恋愛対象と性的対象のどちらを示しているのか不明だ。

さらには、指向する「相手」にも当然「こころの性」「からだの性」「好きになる性」があるのだが、このモデルでは表現しきれないのだ。

 

原則的には「トランス女性(MtFと表記する場合も)」「トランス男性(FtMと表記する場合も)」と言うように、「性別」は「性自認」や「社会的ジェンダー」によるものとされるのが現在の枠組みであるが、現実には、性行為をしたい性別と恋愛をしたい性別が違う人も存在し、一概に「好きになる性別」が「性自認」や「社会的ジェンダー」であるとは言い切れないのだ。


逆に言えば、それだけセクシュアリティは「多様」なのに、現在の表現方法では全然「多様に表現できない」のである。

 

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○新しいモデルの提唱

そこで、できるだけ多様な表現ができるような、新しいセクシュアリティ表現モデルを提唱することにする。

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名称は決めていない

 

【ポイント】

 

すごく項目が多いですね...

しかし、ある程度項目を増やさないと、「多様なあり方」は表現できない。

逆に言えば、自己と他者と社会的生き方では、これほど多くの性の要素を考慮して生きたり性的指向を認識したりしているのだ。

 

このセクシュアリティ表現モデルはもちろん、全項目が任意項目です。当てはまる項目があれば書けば良き。

 

もちろん、この図は筆者・もじゃが勝手に作成したものであり、誰の監修も受けていない。

誹謗中傷はお断りだが、前向きな意見や提案は受け付けている。

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建設的で前向きな議論を通して新しいことを作っていきたいです!!