TRPで受けてしまったジェンダー・セクシュアリティハラスメント

こんにちは、もじゃです。いろいろと疲れております。。。

 

さて、先日5/6は東京レインボープライド(TRP)のパレードの日でしたね。わたしも代々木公園にいました。

 

なんと!TRP会場とその周辺で、ジェンダーセクシュアリティのハラスメントを受けてしまいました゚゚(゚´ω`゚)゚。ピー

 

今回は、そのハラスメントについてと、パレードについてもろもろ書きたいと思います。

 

【もじゃに発生したハラスメント】

当日は浜崎あゆみのフリーライブがありました。浜崎あゆみの公式twitterではこういうことが書いてありました。

「君は君のままで居てね いつまでも、そのままの君で✨✨✨」(浜崎あゆみの公式twitter2018/5/7 17:58より)

 

そんな、「そのまま」でいられるはずのTRPで起こってしまったのです。

 

twitterやfbでつながってる人はご存知かと思いますが、当日あたしは、民族衣装のスカートをまとって軽く化粧をした、「中性装」「非男性装」っぽい格好で行きました。

 

TRP会場と、代々木公園近くの某カフェにて。

レインボーのリストバンドをしているゲイと思しき中年男性(見た目判断ですまぬ)に、

 

「何だこの女装は。。。」

 

というような目つきであたしを上から下までジロジロと見てきたのです。

 

もちろん、目つきがそうであっただけで当然相手の意図はわからないですが、あたしがそう受け取ってしまい、とても辛い思いをしてしまいました。なぜそんなことが起こってしまったのか不思議でなりません。

 

twitterを見ていたら、あたし以外にも、バイセクシュアル男性やXジェンダー(だったかな?)がゲイ男性から「あなたゲイじゃないのー?もったいない。」とか「男か女、どっちが好きかはっきりしなさいよー」的なセクハラにあった模様です。

 

まことに遺憾です。

 

いろいろ考えましたよ。いろいろ書きます。ただし、偏見と皮肉がめちゃくちゃ入ってますが、twitterで見る限りあたしが受けた思いです。思っちゃったんだから仕方がない。

 

浜崎あゆみフリーライブによるTRPの「乗っ取り」〉

特に二丁目界隈の比較的若い世代のゲイにおいては浜崎あゆみが好きな人が多いですね。ディーバ好きは二丁目ゲイ文化の一つなのはよく知られています。

今回はそんな浜崎あゆみ初のフリーライブということで、当然のことながら、人がたくさん来ました。代々木公園のあの広場が溢れんばかりに。

ところが、他のセクシュアリティのことやTRP、LGBTの権利の歴史、プライドに関して無知な人や、酒盛りまつりとあゆのライブとして「しか」今回のTRPに来場する意味を思っていない人もそれなりに存在しました。あんまり言いたくないですが、ゲイ男性に多かったんですね。。。

 

ここで、今年のTRPのテーマを確認してみましょう。

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「LOVE & EQUALITY」
すべての愛に平等を。
私たちが未来に求めるのは、特別な権利や、特別な豊かさではありません。マイナスをゼロに。同じことを、同じように。愛する人を、自由に愛する。そんな、あたりまえの「平等」を、実現したいだけなのです。キース・ヘリング(画家でエイズポジティブ。エイズ撲滅活動に従事。1990年没)生誕60周年の2018年、彼の作品と共に掲げたテーマは、「LOVE & EQUALITY」。すべての愛に、平等を。また、あらたな一歩がスタートします。

(引用元:https://tokyorainbowpride.com/about/)

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そもそも「LOVE & EQUALITY」ってところで、ジェンダーのこととアセクノンセクロマンチック方面のこと云々のツッコミはさておき、、、おきたくないけど、、、本題と離れてしまうので、、、


多様性を祝い訴えるTRP会場またその周辺でのジェンダーセクシュアリティハラスメント行為は許されざるものです。

 

ここには、男女のジェンダー差、セクシュアルマイノリティにおけるヒエラルキー(「男性」中心によるLGBT活動での「非男性」周縁化)が隠されているんでしょう。

また、マイノリティだからこそ、その中でも優位に立ちたい欲求もあるのでしょう。


過去の海外のプライドパレードで、ドラァグトランスジェンダーの場が白人ゲイに「乗っ取られた」のと似たような現象が今の日本のLGBTシーンでも起きているんじゃないかとも感じています。

 

今回のハラスメントを受け、twitterでもいろいろやりとりをしました。その中で、「もじゃはもじゃだよ。」「自分自身が一番の敵。自分自身を受け入れるか受け入れないか」「周りを気にするかしないか」「どう思われているかじゃなくて、自分は何を主張するかだよ」というリプをもらいました。

でもね、この問題はそんな自己の問題の理想論に矮小化させてはならないのです。これは社会的政治的問題なのです。

 

〈レインボーパレードの「政治性」〉

さて、政治という言葉が出てきたので、この問題にも触れないわけには行きません。

 

これまたtwitterではこういう意図の発言が多く見られました。

 

セクシュアリティを祝い、訴えるイベントなのに政治的なものを持ってこないで!」

 

主に、「反安倍」「反天皇制」プラカードに対してそういうツッコミが多く見られました。TRPスタッフから当該プラカを掲げるのをやめるよう注意されたケースも過去に存在したのを記憶しています。

 

でも、

そもそもLGBT」が「街頭をパレード」すること自体が政治的であることを忘れてはいけません。

LGBT」という言葉は、「セクシュアルマイノリティ」というマイノリティ性を当事者自らなくしていこうという方針のもと作られた言葉であって、LGBT」自体が政治性を持った言葉なんですよ。

 

さらに言えば、そもそもプライドパレードの歴史は、その時代で支配されている諸制度への「抵抗」の歴史。

そして、プライドの歴史は女装ゲイとトランスジェンダーからスタートしたことも忘れてはなりません。(これについては後述)

 

性質上、どうしても「左」にならざるを得ない部分はあるのです。

 

個人的な考えですが、少なくとも、現政権・国家レベルでは、LGBTが求めている同性婚云々は実現されないでしょう。なぜなら、現政権は「伝統的家族観」が、つまり、「普通の」男女の結婚の上で「普通の」子どもがいる家庭が望まれているからです。

 

〈TRPブースにおける「エログッズ」の必要性〉

これもまたtwitterであがっていました。

これは絶対に必要です。

セクシュアリティというのは「性的」なものであり、性欲のある人間にとってはそのような欲望を実際に共有することである種のカタルシスが可能になる点と、

特にゲイバイ男性におけるHIV含む性感染症啓発の目的があります。

 

〈それでも「政治性」が嫌なら〉

レインボープライドは、「自分たちの性のあり方を祝う」「世の中に性の多様性を訴える」の2軸があるかと思いますが、

 

結論から言うと、

パレード部門とお祭り部門を、日程や会場はおろか、運営団体をも完全分離させて実施させたほうが良いんじゃないか

と思うわけです。

 

ここで、前回前々回の記事にも出てきますが、

「見えるセクシュアリティ」vs「見えないセクシュアリティ

「変態クィア」vs「普通・社会迎合派」

 

の問題も出てくるわけです。

 

パレードのドラァグや半裸GOGOのフロートに対して「変態なのはやめろ!それでは理解など得られない」ってのを見かけますね。

でも、そういうあなたこそ、夜はいろんな人とセックスしたりエロDVD見たり、二丁目でドラァグクィーンとか女装とかGOGOやばいかっこいいだの言ってるんでしょ? あたし知ってる。

ストレートでもLGBTでも、変態もいれば変態じゃない人もいるのに。

 

あたしはクィア派の考えですが、TRPのパレードで「ドラァグとか半裸GOGOみたいな変態がいたら変に思われる」と考える人は要するに「キレイ売り」をしてるとすら思ってしまいます。キレイ売り、皆さんお得意ですよね。。。

 

 

悔しいけど、マジョリティ・ストレート側に権利やら理解やらを求めてる割に、マイノリティ内部では互いの理解も何も無いような状態なんだもの。はぁ。

 

ってことで、こんなお祭り部門はいかがでしょう?

 

「東京・性の盆踊り大会」

ちょうどいいと思います。

盆踊り、江戸時代は出逢い要素というかエロ要素があったんだから。それで同性婚とかパートナー云々とか歴史とか政治とかに興味のないセクシュアルマイノリティは満足すると思います。

 

〈Mt○系トランスジェンダーの女性ジェンダー表象の「変態性」〉

男性中心社会のセオリーから外れてしまうという点で、、トランスジェンダー、特にMt系が女性ジェンダー表象をしているだけで「変態」扱いされてしまう現実がまだあって、LGBにはなかなか理解されていない現実があるの。悲しいけども。

 

きっともう代々木公園に、少なくともわたしの「ありのまま」を表現した格好で行くことはないだろう。抑圧されたプライドで参加するだろう。

「普通」を求めるLGBTな皆さん、あたしの服装によるアイデンティティの表現が「変態」でごめんなさい。あたしはLGBTのなかでも「普通」ではいられない存在なのです。

 

〈結論〉

残念ながら「LGBT」と「性的マイノリティ」にくくられていても所詮は他人同士。ストレートへの啓発と同様に、いや、むしろそれ以上にセクシュアルマイノリティ内部間の理解と啓発は難しいものなんだろね。当事者性のある自己経験が絶対なものだと思ってしまいがちだし。

 

こんな結論になって悔しいけど、それがわたしにとっての今年のTRPでした。

 

p.s.

昨年、パレード時間中になぜか性別不問仮設トイレが使用禁止になっていましたが、今回は終日稼働していたのでよかったです。